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2009年11月

2009年11月29日 (日)

早大、甲子園行きならず

 今年、最後に早大野球部の勝利を見たのは、10月12日の立大3回戦。それ以降、法大戦は1分2敗。早慶戦は連敗。
 準決勝か決勝に進んだら見に行こうと思っていた新人戦は、1回戦敗退。甲子園のオール早慶戦は、私用で当初から観戦予定なし。
 このまま勝利を見ずに今年を終わりたくなかったので、11月25日の国際親善試合バンダービルト戦(米国)を急遽観戦予定にしていたら、朝起きたら風邪気味だったので断念……。

 もっともこのバンダービルト戦は勝利目前の9回に3点を奪われて3-3に追いつかれ、そのまま引き分け。観戦したとしても、勝利を見届けることはできなかったわけであるが……。野球部の面々も、何か吹っ切れずに悶々としているかな?
 これで「斎藤早稲田」の初勝利は来年に持ち越し。2010年、初勝利を挙げたら、そのまま一気に突っ走って連勝街道――というのも悪くないかもしれぬ。(笑)
 とにかく来年は、最高の年にしてもらいたい。

 ――――――――――――――――――――

 今日(11月29日)はアメフトのクラッシュボウル(東日本代表校決定戦)の決勝戦・早大vs法大が行われたので、観に行ってきた。(アメフト観戦は初めてである)
 会場の味の素スタジアムは、京王線飛田給駅にある。うちから2番目に近い駅・京王新線初台駅から一本で行けるのがありがたい。
 この試合に勝つと東日本代表校となり、12月13日に西日本代表校と甲子園球場で「学生日本一」を懸けて、「甲子園ボウル」を戦うのだ。

 が、しかし――。今日の決勝は、序盤から法大の攻勢が続き、11-38の大差で早大の敗戦。残念ながら、早大の甲子園行きはならなかった。
 敗れたとはいえ、後半だけを見れば、11-17の小差。早大はタッチダウン後の2点コンバージョンを決めるなど、見せ場をつくった。
 野球の早慶2回戦同様、最後まで諦めない戦いぶりをほめてあげたい。
 表彰式で泣いていた四年生をはじめ、選手の皆さん、お疲れさま。来年こそ、東日本代表、そして学生日本一を。
                       (谷川彬良)

2009年11月26日 (木)

大石の新背番号

 早稲田スポーツを読まれただろうか? オール早慶戦の記事がアップされているが、その終わりに「新しい背番号」として、斎藤佑の「10」、福井の「11」が挙げられている。
 そして、もう一人が、大石。甲子園ではお披露目とはならなかったが、「背番号『1』は大石がつける模様」と紹介されている。「投手も野手もこなすから」が理由だとか。
 ちなみに、甲子園で「1」がお披露目にならなかったのは、斎藤佑が着ていた「1」のユニフォームはサイズが合わなかったのだそう。そりゃそうだろう。(笑)

 これで投の三本柱は、斎藤佑「10」、大石「1」、福井「11」。「ええっー!」という方もいらっしゃるかもしれないけれど、まあ、収まるところに収まった、というところか。
 3人には「自分の番号こそ真のエースナンバー」のつもりで、競い合ってもらいたいもの。今年は打率を競ったそうだけれど、来年は防御率&勝ち星もぜひ!(笑)
                         (谷川彬良)

2009年11月23日 (月)

オール早慶戦in甲子園、慶應勝利

 53年ぶりに甲子園球場で行われたオール早慶戦。序盤に5点をリードした早大は、4回に何と8失点。7回にも2点を失った。
 双方11安打だったが、結局、そのまま10-5で慶應の勝利となった。

 06年夏の甲子園の決勝戦以来、3年余り。早大の新主将・斎藤佑が「10」を背負って甲子園に戻ってきた。
 斎藤は9回の1イニングを投げ、3者連続三振。捕手は3年前と同じ、白川だ。早大は負けてしまったとはいえ、このシーンを観られた人は大満足であろう。

 試合後のインタビューで、「甲子園は投げやすかった」と斎藤は語っていた。甲子園が投げやすい――甲子園を本拠とするプロ球団が聞いたら、大喜びしそうだ。
 でも、あの球団のシニアディレクターは、斎藤のことを「小さくまとまりすぎている」とあまり高い評価を与えていないようであるが……。
 もしも白川もプロのレベルに達して、斎藤佑-白川が一緒に入団したら、大変な人気になることだろうけど……夢物語かな。

 ――――――――――――――――――――

 大学野球の聖地・神宮球場で戦っている早慶の選手たちも、少し前までは高校野球の聖地・甲子園球場が目標だったはずである。
 高校時代に甲子園出場を果たした選手たち。夢破れて出場が叶わなかった選手たち。それぞれにとって憧れの地に立った気持ちは、どんなものだったろうか。

 高校時代に甲子園に来られず、指導者になってチームを甲子園に率いたある監督は、大会前の甲子園練習で「嬉しくてたまらず」、高校生に混じって守備練習をしたというほどだ。
 何歳になっても、甲子園への思いは変わらない。そんな憧れの球場で試合ができる早慶の選手は、幸せである。土を持ち帰る選手はいただろうか?
                       (谷川彬良)

 #ところで、勝ったほうが優勝となるラグビーの早慶戦は、20-20で引き分け。優勝決定は最終戦に持ち越しとなった。この秋の慶大は、野球もラグビーも気合が入っている。

2009年11月22日 (日)

大学代表vsプロU-26、引き分け

 セ、パ両リーグ誕生60周年記念試合・NPB選抜と大学日本代表(東京ドーム)は、1-1で引き分けた。

 先発の斎藤佑は、2安打で1失点。先頭の坂本(巨人)、タイムリーの新井(阪神)にコースが甘くなったところを打たれたが、全体として球自体に力はあったのではないだろうか。新井との勝負球は、サインに首を振ってストレート。“力試し”の気持ちが伝わってきた。
 六大学リーグでも、立ち上がりに制球が甘くなって失点することはあり、回を重ねるごとに安定するケースが多いので、最初からの予定とはいえ、もう少し投げる姿を見たかった。

 一方、大石は、1安打されたものの2奪三振。140キロ台後半のスピード以上に威力を感じさせた。
 9人の投手が登板した大学は、結局、斎藤の1失点のみ。プロから計11三振を奪い、それぞれに手応えをつかんだのではないだろうか。

 ――――――――――――――――――――

 今日は以前から予定が入っていたので、東京ドームには行けず。用事の合間に、斎藤の投球をテレビ観戦し、その他は夜、録画観戦した。
 斎藤が投げる生中継を観るのは、2006年夏の甲子園決勝以来かもしれない。

 プロとアマの試合。日本では特別な試合として行われるが、米国ではシーズンイン前に大リーグと大学生がオープン戦を行うことも多い。
 プロにとっては調整の意味が大きいだろうが、大学生にとってはプロのレベルを知る貴重な機会であり、国全体のレベルアップにもつながっているだろう。

 日本でも、プロとアマの試合が“普通”に行われる時が、いつかやってくるだろうか。
                      (谷川彬良)

2009年11月18日 (水)

ベストナイン、大石達也 -3-

 大石、斎藤佑、福井。早大の投手三銃士は、防御率争いではなく、“打率争い”をしていたとか。この秋のリーグ戦の3人の打撃成績は、次の通りである。

 大石   12打数 6安打  .500
 斎藤佑 13打数 3安打  .231
 福井       6打数 0安打   .000

  言うまでもなく、大石の“圧勝”である。二人に飯でもおごってもらったのだろうか?(笑)
 ついでに、3人の大学入学後の通算打率は、大石 .322(31打数10安打)、斎藤佑 .157(102打数16安打)、福井 .143(14打数2安打)となっている。

 大石は、二年生終了時までは、11打数1安打。いわゆる“投手の打率”だったのであるが、野手の練習を始めた今年の春は8打数3安打、そして秋は前述のように12打数6安打。
 つまり、三年になってからは20打数9安打、打率.450。リーグ戦の首位打者(春は法大・松本雅.447、秋は慶大・小野寺.457)に匹敵する打率を残している。
 また、大学通算打率 .322は、昨年秋に100安打を達成した松本啓(現横浜ベイスターズ)の大学通算打率.315(333打数105安打)をも上回っている。應武監督が、野手として起用したくなる気持ちも分かろうというものだ。

 その大石。二年生時は春秋合計で7打数0安打。しかし、投手としては守護神ぶりを見せつけて、春秋通じて防御率0.00の記録を残した。
 ところが、三年生になって、野手の練習をするようになってから、打撃は結果を残すようになったものの、投手としては、春秋それぞれ防御率2点台に落ちてしまった。

 投手と野手の練習割合(実際のことは知らないけれど)による当然の結果なのか、それとも結果は偶々のものなのか。
 元来、身体能力に優れていると言われている大石。投手としても素晴らしい成績を残しているけれど、もしも打者に専念したら、どのクラスの打者に成長するのだろう。それも見てみたい気がするのである。

 といって、二足のわらじを履くのは、現代野球ではむずかしい気がする。来年も今年のように遊撃手や中堅手として登場することもあるのだろうか? 應武監督がどんな使い方をするのか、また投手をやりたいと言っている大石がどんな考え方をしていくか。

 斎藤佑が「10番」になった以上、エースナンバー「11」を背負う最有力は大石であろう。投手ベストナインに選ばれたのであるから、斎藤佑が「10」でなくても「大石11番」の資格は十分にあったはずである。
 しかし、もしも大石が野手として出場することもあるのであれば、「11」は福井がつけて(福井は今年春秋で、斎藤佑の7勝に次ぐ5勝)、大石は本来野手の番号である「1」を背負ってもいいのではないか、という気もしている。(斎藤が嫌がるかな? 笑)  ま、一つの可能性としての話である。
                      (谷川彬良)   

2009年11月16日 (月)

ベストナイン、大石達也 -2-

 早大のリリーフエース・大石は、秋のリーグ戦で初のベストナイン(投手)に輝いた。
 大石の得票数は9。満票は21であるから、票は割れたということであろう。確かに、秋の投手ベストナインはむずかしかったと思う。

 大石のシーズン別成績を記す。

         勝   負  防御率   投球回    奪三振

 07年秋  2   1   0.75    24回       30
 08年春  1   0   0.00    17回2/3      32
 08年秋  1   0   0.00     16回       34
 09年春  1   1   2.70    20回       22
 09年秋  1   1   2.22     28回1/3     35

 こうしてみると、この秋の大石は、彼にしてみたら特筆すべき成績ではないことが分かる。
 一番良かったのは、二年生の時か。なにしろ、平均で1イニングに2奪三振、自責点は「0」のまま終えてしまったのだから。

 今季、いや今年の大石は、従来同様の“神ピッチ”も見られたけれども、どうにも彼らしくない内容の投球も時に見られた。
 とくに先発(春1、秋1)の時は、「これがあの大石なのか?」と思う時もあった。春の法大戦は、5回を投げて自責点4。秋の慶大戦は、4回を投げて何と自責点6であった。

 リリーフならば、6イニングでも0に抑えるのに、なぜか先発となると極端に内容が悪くなるのは不思議である。
 調子が悪い時に先発に当たったのか。それとも“適性”の問題なのか? 来年、あるいはその先のプロで、彼はどんな使われ方をするのか、非常に興味がある。(野手も含めて)
 ただし、大石の大学初勝利は、リーグ戦初登板の先発で達成された。一年生の秋の東大2回戦で先発した大石は、5回を0点に抑えて降板。その後を楠田、須田が2イニングずつ投げて、シャットアウトしたのだった。

 何はともあれ、今季、大石はベストナインに選ばれた。防御率は4位だったとはいえ、早慶戦前まで、0.3点台でダントツの首位だったのが評価されたのだろうけれど、何と言っても初めて規定投球回(試合数×2)に達したことが大きい。
 ベストナインの選出にどんな基準があるのか知らないが(ご存知の方がいらっしゃったら、教えてください)、打者なら規定打席以上、投手なら規定投球回以上の選手が対象になるような気がする。
 これまで「一度はベストナインを」と大石に投票したくても、規定投球回以下であったことでやめた記者もいるのではないだろうか?(こう言ったからといって、今季の大石の成績がベストナインに相応しくない、と思っているわけではない)
                      (谷川彬良)   

2009年11月13日 (金)

ベストナイン、大石達也 -1-

 火曜日の朝日新聞(都内版?)に連載されていた「神宮の杜から」は、今週が最終回だったようである。
 最後の語り手は、前早大野球部監督の野村徹氏で、1960年秋に生まれた伝説「早慶6連戦」について語っている。

 捕手だった野村氏の左手人差し指は今でも曲がっているそうで、それはこの6連戦で5試合に完投したヒーロー・安藤元博氏の重い球を受けていたからだという。
 この時、安藤投手がつけていた背番号が「11」。以来、早稲田のエースナンバーになった。(それ以前に「エースナンバーの考え方はなかったのか?」とお思いの方もいらっしゃるだろうけれど、東京六大学野球に背番号制が導入されたのは、前年1959年の春季なのである)
 野村氏は「だから、斎藤佑樹にも11番をつけてほしいと思っていた」そうだ。(斎藤が主将になり、「10」になることを知った後の話)

 この野村氏がイチ押しの選手として挙げたのが、「大石達也」。「斎藤佑の好投も、剛腕大石が後に控える安心感があってこそ。もっと注目されていい」と、大石のことを賞賛している。
 先日の日曜日、大石は斎藤佑と一緒にテレビ出演したくらいであるし、オリックスの岡田監督(早大OB)も「斎藤佑より大石のほうが上」と公言しているくらいだから、十分に注目されていると思うけれど、それでもまだ足りないくらいの実力を大石に感じているのかもしれない。 (短いですが、今日はここまで。後日につづく)
                         (谷川彬良)

 #何回かに分けて、大石達也について書くつもりです。

2009年11月 8日 (日)

斎藤佑はどんな主将になる?

 今日(11月7日)、出かけた先に何人かの野球好きがいたので、「斎藤佑新主将」の話題を振ってみた。

「あんまりタイプじゃないんじゃない?」
「いや、適任だと思うけどね」
「プレーで引っ張るタイプだろう。上本に近いんじゃないか」
「確かに、口うるさい感じはしないな。副将の宇高が上手くフォローすると思う」

 いくつか出てきた声の中で、一つ気になったのは、「頑張り過ぎなければいいけどね」というものだった。
 チームを引っ張るために、これまで以上に練習に力を入れるのはいい。しかし、疲労が溜まっていたり、調子が万全ではないのに頑張ってしまうことがあるんじゃないか――と言うのである。

 なるほど、性格的に真面目であればあるほど、そういった危険も出てくる。無理を重ねれば、故障の原因にもなろう。
 休みが必要な時には、休む勇気がほしい。斎藤の故障は、戦力の大ダウンになる。

 今季限りで引退した千葉ロッテの小宮山(早大OB)は、「これ以上練習したら故障しそうだ、と察知する能力が自分にはあった」と話していた。だから現役を長く続けることが出来たのだ、と。
 斎藤にそういった能力があるかどうかは知らないけれど、「これ以上は危ない」と感じることがあったら、絶対に無理はしないでほしい。
 主将である前に、選手なのだから。

 ――――――――――――――――――――

 野球の話からは離れる。
 今日出かけた先は、横浜だった。横浜球場や赤レンガ倉庫から近い場所にある結婚式場。姪の結婚式だったのである。
 11月の休日の大安は今日が最後とあって、それはそれは多くの式が執り行われたようだ。

 教会の結婚式。賛美歌は手元の歌詞カードには2コーラスあったのに、時間の関係なのか、1コーラスで終了。最後まで歌いたかったのに。(笑)
 披露宴。最近はいろいろ趣向が凝らされているらしい。新郎新婦が生まれた時の体重を再現したクマのぬいぐるみが置かれていたり、お色直しで何色のドレスを着るかのクイズが出されて、正解者の中から抽選で賞品がもらえたり……。

 姪は26歳で、ぼくが結婚する年に姉が産んだ子。姉は出産後、1か月くらい実家で過ごしたので、ぼくもその間、毎日、彼女の成長を見ていた。
 赤い顔で小さかった子が、いつの間にか大きく、きれいな娘になって嫁ぐ姿。父親でもないのに、涙が出てきて困った。(笑)

 アマの吹奏楽団に属し、クラリネットが上手な姪は、友人のクラ吹き3人とエルガーの「愛の挨拶」を披露した。
 ぜひ幸せな家庭を築いてもらいたい。
                        (谷川彬良)  

2009年11月 6日 (金)

斎藤佑樹、早大野球部第100代主将に

 夕方、ある方からのメールを読んで驚いた。斎藤佑が、早大野球部第100代主将に選ばれたというのだ。いやあ~、とにかく驚いたの一言。
 野球部の主将は、現三年生部員が投票し、その結果を参考にして監督が選ぶ方式(つまり、票数で決まるわけではない)だったと思うけれども、投票が少ない選手を主将にするとも思えないから、それ相応の投票があったのであろう。同僚から信頼されている証である。
 投手の主将は、2006年度の宮本賢以来。なお、副将は宇高である。

 それにしても、「斎藤主将」はほとんど想像していなかった。主将としての能力云々ではない。
 アマ球界で最も注目される選手であり、しかも来年はドラフトの超目玉。ただでさえ“狂騒曲”が予想されるところへ、「主将」の肩書き。もしも今年のように早大が優勝を逃したりすれば、その責任を斎藤が被ることになりはしないか――と心配なのである。

 しかし、その一方で、斎藤こそ主将に相応しい、という気もしてくる。
 一年生からエースとして活躍し、チームへの貢献度がナンバーワンであること。
 精神的な柱であること。(昨年春、明大戦で斎藤が負傷退場した時のチームの消沈ぶりを見ても良く分かる)。
 そして、節目となる第100代主将であること――などだ。
 どんなタイプの主将になるのだろう。言葉で引っ張るか、それとも背中で引っ張るのか。

 毎年、斎藤の背番号が何番になるか、予想を書いていたけれども、これでその必要もなくなった。皆さんも、予想する楽しみがなくなって、寂しいでしょうか?(笑)
「早稲田の背番号1といったら、斎藤佑樹と言われるようになりたい」と語っていたことがあったが、「1」は2年間で終了したわけである。
 となると、来年のエースナンバー「11」はあの人の背中に行って、「1」は内野に戻るのだろうか。

 さあ来年は、斎藤佑が天皇杯を手にする光景を絶対に見たい。
 秋には、選手宣誓を聞きたい。
 第100代主将斎藤佑、背番号「10」。
 その名が、その背番号が、そして早大野球部が、来年は光り輝きますように――。
                          (谷川彬良)

# そういえば、昨年書いた「架空実況」では、「主将・宇高、副将・斎藤佑」と書いたけれども、逆になってしまった。(笑) 
 まあ、あれは予想ではなくて、当時のスタメン二年生から「あいうえお順」で選んだだけなのだけれど。 

2009年11月 2日 (月)

斎藤佑、号泣

 早慶2回戦の9回。4番手としてマウンドに上がった斎藤佑は、打ち取ったかに見えたショート内野安打がきっかけとなり、1失点。2009年リーグ戦の投球を終えた。

 試合終了後、一塁側応援席、右翼側応援席に向けて整列し、頭を下げた後、手で顔を覆う斎藤の姿があった。
 上を向いても止まらない涙。拭っても拭っても、溢れてくる涙。
 春、秋とも、四年生に優勝を味わわせることができなかった、エースの責任感が流させた涙であろう。

 背番号17の楠田が、泣きじゃくる斎藤の肩を抱いて慰める姿があった。そして、背番号50番、武石コーチも――。
 学生コーチの武石は、早実出身。早実では主将であり、そして捕手。一学年下の斎藤佑の球を受けていた。
 武石が去った後の正捕手は、白川。「斎藤佑-白川」のバッテリーの誕生である。

 だが、白川の捕球技術は、まだまだ未熟だった。斎藤の低目への変化球を、後ろに逸らすことも多かった。
「前の捕手は、ちゃんと捕ってくれたよ」。斎藤が白川に語った“前の捕手”は、この武石だったのである。

 その言葉に発奮した白川は、来る日も来る日も体にあざを作りながら、捕球の猛練習。
 以後は、斎藤の球を逸らすこともほとんどなくなり、夏の甲子園制覇に結びついたのである。

 母校の先輩・武石のラストシーズンに、優勝をプレゼントできなかった無念。
 武石に抱き合いながら慰められた斎藤は、謝っているようにも見えた。
                         (谷川彬良)

最後の最後、四年生が見せた

 早大の頼みの綱、先発の大石は4回自責点6で降板。前日までの防御率トップから転落し、4位に終わった。
 7回を終わって、早大は0-6と敗色濃厚。しかし、8回、9回の攻撃で、ベンチを暖めることの多かった四年生が、グラウンドで躍動した。

 8回裏、代打で登場した「藤原」(観音寺一)は、右翼フェンスダイレクトの大三塁打。逆風がなければスタンドインしていたのではないだろうか。
 藤原の代走「新佐古」(早実)は、松本の犠牲フライの間にホームインした。

 9回、一死1塁で、4番原に代えて「大前」。甲子園の選抜大会で投手として活躍し、早大では背番号18を与えられた大型左腕だ。
 投手としては結果を残せず、野手に転向して背番号は「20」。その大前が、一二塁間へゴロのヒットを放ち、ベース上で泣いていた。これが大学初ヒットなのである。
 代走佐々木が送られ、ベンチに戻る大前に、ナインから、応援席から大きな拍手が送られた。

 佐々木が盗塁を決め、一死2、3塁から杉山の犠飛で1点を返し、二死3塁。
 次打者・山田敏は、絶対に打たなくてはならなかった。なぜなら、ネクストで背番号10「山川」がバットを握っているからだ。
 山田敏はセンター前タイムリー。9回二死、「代打・山川」のコールに、スタンドからは大拍手が起こった。

 その山川。「まだ終わりたくない」とでもいうように、カウント2-3からファウルで粘りに粘った。そのたびに、スタンドから拍手。
 そして十何球目かを、しぶとく三遊間ヒット。一塁ベースに立ち、両手を突き上げた。

 代打・宇高のタイムリー二塁打で3点差、なおも2、3塁とし、もしもホームランが出れば同点の場面をつくったが、代打・市丸はショートゴロ。
 頭から一塁ベースに突っ込んだ市丸の巻き上げた土ぼこりが、早大の「終戦」を告げた。

 藤原、大前、山川。大学野球生活、最後の打席でヒットを打つとは……。
 勝利には届かなかったが、四年生の起こした風に、三年生、二年生、一年生が乗っかって奪った、終盤の4点だった。

 四年生のみんな、今年は春秋とも優勝はできなかったけれど、最後の最後に良いドラマを見せてくれて、ありがとう。
 4年間、お疲れさまでした。
                            (谷川彬良)

2009年11月 1日 (日)

早慶戦は慶大連勝、優勝は明大

 2009年秋の早慶戦は、慶大が連勝。勝ち点4で全日程を終えていた明大の優勝となった。
 勝ち点を挙げれば優勝を手にできた早大は4位。應武監督が就任以来、必ず勝ち点4以上を挙げてきたが、勝ち点3、初のBクラス転落となった。

 ――――――――――――――――――――

「絶好調のチームと絶不調のチーム、って感じだな」
 応援席の近くで、男性のそんな声が聞こえてきた。もちろん、絶好調は慶大、絶不調は早大。なるほど、優勝の最短距離にいるのがどちらか分からないくらい、昨日も今日も慶大の力が投打に圧倒した。
 勝ち点4が明大。その下に、慶大、法大、早大が勝ち点3で続き、東都に負けないくらいの「戦国」であったのかもしれない。

 優勝した明大は早大に連敗。早慶戦で早大を圧倒した2位の慶大(勝率は明大より上)は、明大と5位立大に勝ち点を落とした。3位法大は、慶大に連敗、明大に1勝2敗。早大は前半は好調、後半は失速……。
 春の法大のように、ずっと好調の波をつかんだまま走ったチームはなかった印象が強い。

 優勝した明大は、東京六大学代表として明治神宮大会に出場する。全日本大学選手権の法大のように、ぜひ優勝を勝ち取り、六大学の力を示してもらいたいものである。
                           (谷川彬良)

早稲田、完敗

 早慶1回戦は、11-2で慶大の完勝。早大が優勝するためには、2連勝するしかなくなった。
 ただの敗戦ではない。“完”を付けなくてはならない、負け方だったと言うほかはないだろう。

 先発の斎藤佑は、立ち上がりこそ3連続三振だったが、徐々に慶大打線に追い詰められる。
 4回には4安打を集中され、3失点で降板。これで4試合続けて勝ち星なしになってしまった。
 ただし、KOはKOだけれども、自責点は1。バッテリーミスが今日は目立ち、落ち着かない投球になってしまった。

 その後に登板した4投手も、慶大打線を鎮火させることはできず。特に痛いのは、2回戦の先発の予定だったろう福井をつぎ込んで、打たれてしまったことだ。

 打線も調子が悪い。法大戦から、この日の6回まで、なんと31イニングゼロ行進。リーグ戦前半は頼りになっていた中軸打線が、まったく打てない状態になってしまった。

 完敗があれば、完勝あり。慶大はエース中林が完投し、打線も球を見切ったように自信満々で振ってきた。
 この打線の勢いを止めない限り、2回戦も慶大は優位に試合を進める可能性はあるだろう。

 早大投手陣で、傷を負っていないのは、登板しなかった守護神・大石のみ。その大石を、2回戦でどう使うのか? 先発なのか。それとも福井か、再び斎藤を先発させて、早めに大石に切り替えるのか。
 また、1回戦の極端に傾いた雰囲気を、がらりと変える策を用いることも必要なのではあるまいか。

 慶大は勢いがある。春、早大に連敗しているから、今度はこっちが、の思いも強いだろう。
 慶大に優勝の可能性が残っていたら、もっと盛り上がっていたことだろうが……。
 投打に元気がない早大、その逆の慶大。果たして、早大に救世主は現れるのだろうか?
                           (谷川彬良)

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