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2009年7月

2009年7月30日 (木)

西東京大会決勝、観戦雑記

 日大三-日大二の西東京大会決勝戦。“決戦”とはいうものの兄弟対決とあって、たとえばどこかとどこかの対戦(どことどこだ? 笑)のような刺々しさはなく、応援席には円い空気が漂っていた。
 ぼくは日大三側に座っていたのだけれど、日大二が校歌を演奏する際には、日大三応援席からも少なくはない手拍子が起こっていたくらいだ。

 決勝戦だから、NHKでもMXテレビ(東京ローカル局)でも放映があったのだけれど、仕事を蹴飛ばして神宮球場に駆けつけた。
 この夏、高校野球を現地で観ていない。いや、早実-東亜学園を府中市民球場で観たけれども、あれは降雨ノーゲームになってしまったから、「観た」とは言えない。

 何か物足りない夏……という気がして、甲子園を目指すこの夏最後の東京の試合を観ようと思い立ったわけだ。
 それにしても、暑かった。今日の1試合だけで、何試合分かの「夏」を吸収した感じである。

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 日大三。日大二。ユニフォームも良く似ている。
 ストッキングの色と、ラインの数(日大三は3本、日大二は2本)が違うくらいかな?

 スコアボードの得点欄に表示される校名は、日大三が「三」、日大二が「二」。すごく分かりやすい。(笑)
 仮に早実と早大学院が対戦するとしたら、「実」と「学」とかになるのかな?、などとぼんやり考えていた。

 この2校に限らず、早大の付属校、系属校同士が東京の大会で対戦するとしたら、あるいは甲子園で対決するとしたら(早慶戦ならぬ“早早戦”ですね)、試合中ずっと「紺碧」が鳴り響くんだろうか?
 とまあ、これはある方からの受け売りである。無断借用失礼。(笑)

 試合は、序盤から大差がついて、応援席は「勝負あった」の雰囲気だったのだけれど、前の記事に書いたように、日大二の選手たちはどんな点差になっても諦めていなかったのだろう。
 日大三の選手たちも最後まで気の抜いたプレーはなく、点差の割には「締まった」試合だったように思う。

 9回表、日大二が2点を取った時、選手も応援席もすごい喜びようであった。昨日の帝京-都雪谷で、0-21から1点を返した雪谷と同じように。
 テレビ観戦ではなかったので、監督の表情までは分からなかったけれど、日大二の監督も雪谷の監督の同じような笑顔を見せていたのかもしれない。

 閉会式まで見終えて、球場を出てくると、予想通り「日大三、甲子園へ」の「号外」が、勝利の瞬間の写真付きで配られていた。
                            (谷川彬良)

西東京代表は日大三

 夏の甲子園を目指す西東京大会の決勝・日大三vs日大二の兄弟校対決は、19-2で日大三が勝ち、4年ぶりの甲子園出場を決めた。

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 8回裏、日大三の“最後”の攻撃。この時点で19-0。日大三の勝利、日大二の敗戦は、まさに確定的であった。
 その思いは、日大三の応援席も、日大二の応援席も、同じだったのではないかと思う。

 だが、この直後、熱いプレーが出る。この回の日大三の先頭打者が、三塁ゴロを打った。
 その時だ。一塁ベースに向かって走る影が、二つあった。一つは当然ながら、打者走者。もう一つは――背番号2を着けた日大二の捕手である。

 三塁ゴロは三塁手が無難にさばき、一塁で普通にアウト。捕手は三塁手の悪送球に備えて、一塁まで走ったのである。
 その走り方が尋常ではない。一塁ベースを数メートルも超える位置まで、カバーしたのである。

 すごいプレーだと思う。繰り返すが、チームは0-19で負けている。残る攻撃は、9回表の1回のみ。今大会6試合目。捕手という重労働のポジション。今日も炎天下で消耗が激しかったろう。それでもなお、一塁に向かって全力で走る捕手……。
 高校野球では基本プレーなのかもしれないけれども、この状況であそこまで走る捕手を初めて見た気がする。

 その日大二の捕手・山田君は、9回表の先頭打者。好投を続ける日大三のエース・関谷君の球に食らいついて、一二塁間を破るヒットを放った。
 そして、後続の2点タイムリーヒットで、日大二最初のホームベースを踏んだ。
 だが、試合は続かず、2-19で日大二は敗戦。山田君は試合終了の挨拶後、グラウンドに突っ伏して泣いていた。

 昨日の東東京大会決勝・帝京vs都雪谷(24-1)もそうだけれども、大差をつけられてしまったからといって、諦めているわけではないことがよく分かる。
 夢にまで見た甲子園が、目の前にある。可能性が残っている限り、勝利を目指して全力を尽くそうではないか――。

 今日の山田捕手の一塁への全力カバーにしても、「20点目を防ぎたい」ということではなかったろう、と後になって思った。
 9回表に19点以上取って、絶対に勝つんだ、という気持ちのこもったプレーだったのだと思う。
 本当に、良いものを見せてもらった。
                               (谷川彬良)

2009年7月29日 (水)

都立勢、がんばった

 東東京大会の決勝戦・帝京-都雪谷が行われ、帝京の勝ち。甲子園切符を手にした。
 敗れたとはいえ、決勝まで勝ち上がった都雪谷の健闘は見事。明日は西東京大会の決勝戦(日大三-日大二)が行われるが、ベスト4には都小平、都日野と都立校が2校残り、勢力図が私立優位の東京にあって、都立高が存在感を示した。

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 東東京決勝の帝京vs都雪谷。後者にも甲子園出場経験はあるとはいうものの、王者・帝京の勝利を予想する人が多かった。
 予想通りというべきか、帝京が勝ったわけだけれど、24-1という記録的なスコアになるとは思わなかった。

 帝京打線に力があるにせよ、ここまで一人で投げてきた都雪谷の坂本投手には疲れがありあり。
 守備のミスもあり、1回に6点を失うと、以降も失点を重ねて途中降板となった。

 もしも準決勝から決勝まで中三日あれば、勝敗が逆になるかどうかは別にしても、もっと“勝負”になったと思う。坂本投手は、なかなかの好投手である。
 しかし、勝ち上がれば日程がきつくなるのは分かっていたこと。決勝まで投げ切れるスタミナ十分の大エースを一人持つか、帝京のようにそこそこのレベルの投手を複数揃えるかしなければ、トーナメントは勝ち抜けないのだから、仕方がないことだ。

 ぼくは今日もテレビ観戦していた。帝京が1回に6点取ったところで用事を済ませに外出し、しばらくして戻ってからテレビをつけると、なんと「21-0」。
 あまりの大差にテレビを消そうかと思ったのだが……最後まで見届けようと、そのままにしておいた。

 直後の8回裏、21点を追う都雪谷の攻撃。勝敗はいまさらどうにもならないことは、誰もがわかっている。
 その雪谷が、やっとのことで1点を取った。その時の応援席の喜びよう! そしてベンチ前で、ホームベースを踏んだ選手を迎える監督の弾けるような笑顔。
 勝利にはつながらないことは分かっているだろう1点であるが、敗色濃厚のその中でも得点するために一生懸命の選手たちに、拍手をしないわけにはいかない。
 決勝まで来て、負ける悔しさは尋常ではないはずなのに、そこで負ける監督の顔ではないように見えた。

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「人生はいつでもやり直しが利く」と言った人がいる。いつでもやり直しが利く――この言葉を、まともに聞く人はどれくらいいるだろうか。若い時ならいざ知らず、“いつでも”やり直しが利くなんてことがあるはずがない――。
 まあ、確かにそうである。歳を重ねるにしたがって、実現可能な「夢」は数を減らしていくだけ。

「やり直しが利く」は必ず夢を実現することができる、などという“甘ちゃん”の考えではないはずだ。
 その真意とは――。何かに失敗しても、思い通りにならなくても、不測の事態が起こったとしても、落胆せず、腐らず、やけくそにならず、自分を見失わず、「いつでも前を向いて進むことができる」ということを言いたいのであろう。
 これならば、自分の立ち位置にかかわらず、常に前を向くことができる。進んでいくことができる。

 都雪谷の0-21から奪った1点を、これに当てはめるのはこじつけに過ぎるか。
 でも、敗色濃厚のあの中でも、諦めずに1点を取った選手たちを見ていて、ぼくはそう感じたことは事実なのである。
                               (谷川彬良)

2009年7月26日 (日)

つ、強い……!

 早実はすでに敗退してしまったというものの、西東京大会準々決勝の日大三-東亜学園は興味のある対戦であった。
 日大三は町田市、東亜学園は中野区。どちらも、ぼくが以前住んでいた自治体の学校なのも何となく縁を感じさせたし、日大三の上位打線を打つ某選手が中学でうちの娘と同級生だったことを、つい最近知った。

 そして何よりも、一昨日、早実にコールド勝ちした東亜が、第一シードの日大三とどんな内容の試合をするのか。
 早実の実力を客観的に測る、面白い試合になるはずである。

 結果は――な、何と日大三のコールド勝ち。(13-1) 前試合で、早大打線が6回3安打0点と沈黙した東亜の三堀投手を、日大三打線はなんなく打ち崩し、1回5点、2回2点。4回にはさらに攻め立ててKOしてしまったのだ。
 先日「日大三の打線は別格」と府中市民球場で話していた男性の言葉に、嘘はなかった。準決勝、決勝。日大三の勢いを止める学校はあるのだろうか?
                             (谷川彬良)

夢を追いかけて

 今日(7月26日)の朝日新聞に、早稲田大学野球部の1部員の記事が載っていた。
 西本豪友君。身長190センチの投手。今年入部した一年生である。

 高校は法政二高。エスカレーターで法大に進学できるのに、早大でなければならなかったのは、父親・正夫氏の影響だ。
 40年前、夏の甲子園の松山商-三沢高。史上初の決勝再試合が演じられたあの試合である。正夫氏は、松山商のレギュラーとして出場していた。

 正夫氏は早稲田大学を目指したが叶わず、中央大に進学し、野球部で活躍したという。
 だが、早稲田への憧れは消えなかった。その「夢」を引き継いだのが、息子の豪友君というわけだ。

 驚くのは、年齢が22歳だということである。もちろん、斎藤佑樹よりも上。なんと四浪の末の合格というから、現役で大学に入っていればすでに卒業している年齢ということになるか。早大で言うなら「上本世代」ということであろう。
 浪人生活を続けるのは、精神的にどんどん追い詰められていくと思う。一浪、二浪。普通はここまでか? 現在中年のぼくが学生の頃は、「三浪以上になると、就職で不利になる」と言われていて、第一希望でなくても二浪までで自分を納得させて大学生になった――という時代である。
 就職に関して、今は昔ほど年齢による不利の度合いは大きくないと思うけれども、それでも同時入社が年下ばかりとなれば辛いものである。
 しかし、救われたのは、息子の夢は父親の夢でもあったことだろう。父と息子が同じ夢を持つ。ぼくにも息子がいるが、同じ夢を持ったことがあっただろうか? これから持つことがあるだろうか?
 この西本親子、なんだかとても羨ましい気がする。合格通知を受け取って泣いたのは、父親だったそうだ。その気持ちは、わかる気がする。

「早慶戦の舞台に立つ」という夢の第一歩を踏み出したとはいえ、その道は険しい。
 中学、高校時代を通じて、背番号をもらったことはない。優秀な選手が集まる大学野球で背番号をもらうことは、並大抵の努力では実現しないであろう。

 でも、それ以上に大変だと思うのは、上下関係のある野球部生活だ。
 下級生は雑用がある。同じ立場の一年生は、全員年下。先輩たちの多くも、年下。よほどの覚悟がなくては、続けられないと思う。

 彼の大学野球生活は、始まったばかり。本人は、「きついけれど、絶対にやめない」と言っているそうだ。
 まさに「夢叶うまで挑戦」である。残り7シーズン。早慶戦の舞台に立つ彼を、ぜひ見てみたいものだ。
                             (谷川彬良)

2009年7月24日 (金)

まさか……凹

 早実の夏が終わった。
 降雨ノーゲームによる再試合となった早実-東亜学園は、10×-0で東亜学園の勝ち。早実はベスト16にとどまった。

 場所を代えて、今日は神宮球場。早実の先発は昨日に続いて鈴木(二年)。毎回のようにピンチを迎えつつも、何とか凌いでいたが、4回裏一死、ピンチを残して小野田(二年)がリリーフ。
 この回は併殺で切り抜けたものの、5回にエラーも絡んで3失点。6回は……書くのもつらいほどのつるべ打ち。0-9の場面で内田(一年)がマウンドに上がったが、三遊間にタイムリーを打たれて0-10。
 10点差がつき、6回コールド負けとなった。

 早実に足りないものははっきりしている。
 二年生になった小野田、鈴木の両輪に、成長が見られない。とくに制球に関しては、昨年よりも低下している?
 制球をまとめようとすると、今度は真ん中に集まって打ちごろになる――という悪循環。一昨年の中野、昨年の小野田、鈴木と、毎年期待の一年生投手が入ってくるのに、伸び悩んでしまうのが歯がゆい。
 また、投手の暴投か、捕手(土屋・二年)のパスボールなのか、いずれにしてもバッテリーミスが今日の試合はいくつもあったし、6回、敗戦が決定的になってからの野手の守りも集中力欠如がありありだった。

 主将の中野、大野、森、大矢ら、早くからチームを支えてきた三年生たちの高校野球は、これで終わったことになる。
 思いもしない敗退だったろうし、悔しさで一杯だろう。今日の試合、6回に大量リードを奪われた場面では、まだ試合が終わっていないのに、守備位置で涙を浮かべている選手もいた。

 でも、彼らには「お疲れさま」と言いたい。今年は選抜出場を果たしてベスト8に進出したし、常に期待を抱かせ続けるレベルを保っていたと思う。
 本当にお疲れさま。良く頑張ったよ。

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 今日は仕事をしながらのテレビ観戦であった。正直、勝ってくれると思っていて、日曜日に予定されている次の試合に備えて、仕事をせっせとこなしていたのだ(いや、テレビに釘付け。 笑)。
 負けるにしても、まさかコールドとは……。ちょっとしたことで大差になる。それが野球というものか。

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 今日はもう一つ、凹むニュースが入ってきた。吉田拓郎のコンサート中止である。
 自身が「最後のコンサートツアー」と銘打って6月から始まったツアーは、体調不良によって途中で中止になっていて、体調の回復具合が気になっていた。だが、体調は回復せず、残る2公演(明日のつま恋と、8月の東京)も中止を決定したという。

 ぼくはチケットを買うことができず、今回のツアーに行く予定はなかったものの、言いようのない寂しさを感じる。
 フォーク界を長く引っ張ってきている吉田拓郎。もうコンサートは開かないかな? だとしたら、残念でならない。

 ぼくにとっては、3年前の「吉田拓郎&かぐや姫 in つま恋」が最後のコンサートになってしまうのかもしれない。
 いや、コンサートがやれるやれない云々よりも、まずは拓郎氏の体調回復を祈るのみである。頑張れ。
                            (谷川彬良)

2009年7月23日 (木)

早実-東亜学園、降雨ノーゲーム観戦記

 やれやれ。今夏、初めて早実の試合を見に行ったのであるが、5回表早実攻撃中に雨が降り出し、攻撃終了後、そのままノーゲーム。
 早実は8-3とリードしており、7回コールドは見込める状況であっただけに、なんとも残念である。
 仕切り直しとなるこの対戦は、明日(7月24日)9時から神宮球場で行われる。なお、これによって日程がずれ込むことになり、準々決勝は26日9:00(神宮)、準決勝は28日9:00(神宮)、決勝は30日12:00(神宮)に変更になった。ご注意ください。

 中止が決定する前に、ぼくは府中市民球場を後にした。5点リードで、このまま早実が勝利するだろうし、早実の各選手の調子も大体見せてもらったからだ。
 ところが、帰宅してから、さて勝敗は、と確認すると「降雨ノーゲーム」の無情の文字……。

 府中の天気予報は「少雨」であり、雨が降ることは予想していたけれども、まさか中止になるとは思わなかった。
 首を傾げたのは、球場側の雨対応。両チームの選手を引き上げさせた後、グラウンドにシートを掛けないのである。すぐに止むと思ったのか、それともシートが備えられていないのか? どちらにしても、ひどい話である。(早実がリードされてのノーゲームなら、こんなに怒らない。 笑)

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 今日の試合はまったく記録に残らないけれども、早実の選手の様子を少し。
 先発は、1回戦先発以来の鈴木。制球の良さが身上の鈴木は立ち上がりから制球が悪く、高め、外角遠めに外れる。
 1回は1失点後の満塁を切り抜けたが、3回には6番打者に2点本塁打を浴びた。
 昨年から、あるいは今春から進歩したのかはわからない。ただ、登板間隔が空いて感覚がつかめなかった点はあるだろう。今日の最後のイニング(4回)は、上位打線を簡単に三者凡退にした。

 打線は好調のようである。とくに、安田、大矢、中野、森あたりが結果を出している。
 今日、初めて見たのは、一年生の安田。ランナー2人を置いて、レフトポール近くへの大二塁打を放った。
 体は大きくはない左打者。あの方向へあの打球を飛ばせるのは非凡である。球をとらえるポイントの良さと、リストの使い方が上手い感じがする。

 ノーゲームになった今日も入れて、ここまでの4試合。安田は1番打者として、初回に必ず出塁している。(安打、四球、二塁打、四球)。選球眼も良さそうだ。
 早実は4試合とも初回に得点しているが、この安田の出塁が大きいことは言うまでもない。
 天才肌かな? 今後も注目に値する選手である。

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 府中市民球場は1万人くらい収容できるのであるが、試合直前にぼくが到着した時点ですでにほぼ満席。
 ぼくは早実応援席脇の階段に座っての観戦となった。

 先日の日米大学野球もそうであったが、最近は試合中に男性によく話しかけられ、そのまま一緒に観戦するケースが多い。
 今日も隣の60歳代?の男性(早実ファン)が話しかけてきて、いろいろ情報をもらった。

「今日はコールドだね」「だといいですね」「今年の打線はよく打つよ。安田も良いし」。
 しかし、楽観論はここまで。(笑) リードを広げて勝利が見えてきたところで、次の対戦相手となる日大三の話になった。
「日大三の打線はすごいよ」「早実も悪くないと思いますけど、もっとすごいですか?」「目じゃないね。投手も良いし」……。

 そうなのだ。早実の試合の前に登場した日大三は今日も勝ち。(相手は創価) 2回戦11-0、3回戦12-0、そして今日の4回戦は11-0。すべて二桁得点、相手に一点も許さない、見事なコールド勝利。しかも、投手は試合ごとに違うのである。
 早実は、こんな日大三に勝てるだろうか? “事実上の決勝戦”などと言われてもいるようだが、こてんぱんにやられてしまうのではないか。
 しかも、早実は明日も試合をしなくてはならなくなり、日大三は試合なし。早実のマイナス面ばかりが目に付いてしまうが……。

 早実は、今日はエース小野田はベンチスタートで登場せず。次戦に備えての体力温存と思われる。
 それに今日投げた鈴木も感覚を思い出したようだし、成長しつつある一年生の内田もいる。打線は良いのだから、彼ら投手陣がどこまで踏ん張れるか、なのである。
 日大三戦のことばかり書いてしまったが、その前に東亜学園との再試合に、完璧な試合運びをして勝利し、勢いをつけてもらいたいものだ。

 ただし、東亜学園も、まったく侮れない相手だ。
 今日、雨が降るかもしれない予報の中、球場に出かけたのは、中野、大野、森らの代の“最後の試合になるかもしれない”の思いもあったからである。
                            (谷川彬良)  

2009年7月22日 (水)

早実、3回戦もコールド勝ち

 09年夏の甲子園・西東京大会3回戦、早実-保谷は、8-1で早実の7回コールド勝ち。早実はこれで3戦続けてのコールド勝ちとなった。
 早実は、2ランを放った大矢や、中野、森などの活躍で、効果的に得点を重ね、投げては一年生の内田が先発で5イニング、その後の2回を小野田が締めた。

 打線は、相変わらず好調のようだ。昨年のチームよりも、得点力はありそうである。
 しかし、問題は僅差の勝負になったときに、確実に1点を取る力があるかどうかだ。今日は1回表、先頭の安田が二塁打を放ちながら、2番磯網は送りバントを失敗。安田は三塁アウトになった。
 送りバントは、重要な戦術である。まあ、簡単そうに見えて難しいのであるが、一つの失敗が敗戦につながることもあるだけに、100%(近い)の成功率を目指してもらいたい。

 さて、投手陣。早実のここまでの3試合で、マウンドに上がった投手は4人。鈴木、小野田、内田、福留である。
 鈴木は1回戦に先発して5イニング投げたものの、その後は登板なし。4回戦からの強豪との対戦でフル回転させるために、休養を与えたということなのか?
 小野田は、3試合すべてにリリーフで登板。1、2回戦は不安定だったものの、今日の3回戦が内容は一番良かったらしい。

 一年生の内田。背番号11番を着けて、ここ2試合に先発。2回戦は3イニング4安打1失点、3回戦は5イニング3安打1失点。内容は今日のほうが良かったらしい。
 観戦した友人は「早実で一番活きの良い球を投げている」と評す。3試合で、チーム最多の8イニングを投げている。

 昨年は、小野田、鈴木の2枚看板であったが、今年はそこに内田が加わった印象。もしかすると、内田がエース的な働きをすることもあるのではないか?
 今年3月に15歳になったばかりの内田。一年生エースとして甲子園準優勝した、あの荒木大輔のようになってくれないだろうか?

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 今日は府中市民球場での試合。2番目に近い初台駅(京王新線)から30分ほどの距離にあり、遠くはないので、必ず観戦するつもりであったのだが……今日もできなかった。
 12時半試合開始予定であったから、家を11時過ぎに出ればいいだろうと思っていたら、第一試合(10時開始予定)が日食による明るさ不足で1時間遅れ――(すいません、冗談です。(笑) 今日の東京は朝方まで雨模様で、その影響で開始が遅れただけです)。

 だったら、第二試合の早実-保谷は1時半頃開始なんだろうな、と思っていたら、第一試合が早く終わってしまい、第二試合の開始は1時頃とのこと。
 結局、これから家を出るのでは試合開始に間に合わないことが分かり、観戦を断念したのである。(気合不足?)

 試合が予定されている明日、明後日は、東京の天気予報には傘マークがあり、試合ができるかは微妙。
 いったい、いつになったら観戦できるだろうか。

 ところで、皆既日食(部分日食)をご覧になった方はいらっしゃるでしょうか? 渋谷はその時間、空一面を雲が覆っていたのでまったく空を見上げなかったのだが、東京でも薄雲の間から部分日食がわずかの時間、見えた場所もあったそうだ。
 次に皆既日食が国内で見られるのは、26年先とか。ぼくはきっとこの世にはいない気がしているので、最後のチャンスを逃したかな?(笑)
                              (谷川彬良)

2009年7月19日 (日)

早実、3回戦へ

 第91回夏の甲子園大会を目指す早実は、西東京大会2回戦で都田無工と対戦し、17-1で5回コールド勝ちとなった。
 早実は、内田-福留-小野田の投手リレー。今日は外出していたので内容はまったく分からないのだが、小野田、鈴木の二本柱に不安要素を感じるので、内田や福留らの控え投手にはどんどん登板機会を与えてほしい。
 中でも、内田(一年)は力のある速球を投げると聞いているので、投手陣の救世主にならないかと期待をしている。

 今日は、試合開始が1時間遅れたそうだ。12時半開始の予定が13時半。気温はそれほどでもなかったものの、蒸す中で1時間待たされた選手はきつかったろう。(観客も?)
 前の試合、都保谷vs中大付が延長(10回)になったためで、この試合の勝者・都保谷と早実は3回戦で対戦する。

 都保谷は都立の強豪で、粘り強い試合をする。今日の試合も、4点を先行されながら、5回に同点。7回に1点リードされると、直後の8回に再び同点に追いつく。そして延長10回、決勝点を奪った。
 地力では早実が優ると思うが、最後まで諦めないチームは怖い。終盤まで僅差であったら、どちらが勝ってもおかしくないのではないか。

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 今日は、父の13回忌法要であった。12年前の父の死去以来、弟の他界を始め、身内、親戚の集まる機会は気持ちが暗くなるものばかりだったのであるが、久しぶりに明るいニュースがもたらされた。
 姪っ子が11月に結婚するのである。

 姪は26歳。ぼくの姉の娘である。お相手は同学年で、小学校、中学校が同じだった“幼なじみ”のようなもの。
 在学時はとくにどうという存在ではなかったらしいが、20歳の時の同窓会で再会。付き合いが始まったそうだ。

 初めての姪(甥も含めて)であるし、誕生月(1月)が同じ、学生時代に吹奏楽部であったり(姪は今もアマチュア楽団でクラを吹いている)と、ぼくとは共通点がいくつかあり、可愛がってきた娘だ。
 吹奏楽を始めたきっかけがぼくにあったのかどうかは聞いたことがないけれど、そうであるならば嬉しいことである。
 姪が所属するアマチュア楽団の年に一度の演奏会に行くのが、ここ何年かの恒例になっていて、いつも楽しませてもらっている。

 じつは、姪には知的障害の弟がいる。肉親にそういう人物がいると、結婚問題にも影響することがある、と聞いたこともあり、ぼくも心配していた一人だ。
 その姪が結婚する。ぜひぜひ幸せになってもらいたい。
                             (谷川彬良)

2009年7月17日 (金)

早実、初戦はコールド勝ち

 さあ、早実の夏の戦いが始まった。西東京大会の1回戦(府中市民球場)で、実践学園と対戦。10-3で、7回コールド勝ちとなった。
(今日は球場には行けず。友人から何度か速報を入れてもらっていた)

 先攻の早実は1回、先頭打者・安田(一年)のヒットを足がかりに、暴投で1点先取。しかし、その後は相手投手を打ちあぐね、4回まで追加点を奪えず。
 いや~な雰囲気になってきたらしい。そんな中、早実の先発・鈴木は4回、逆転2ランをレフトに打たれてしまう。

 しかし、直後の5回。早実は安田のタイムリー二塁打、中野の満塁ホームラン(!)などで、一挙8点のビッグイニング。一気に9-2と突き放した。
 早実は、鈴木が5回まで投げ3失点。6回からは小野田。春までの先発・小野田→リリーフ・鈴木とは逆リレーとなった。

 6回にも1点追加した早実は、小野田が2イニングを無失点に抑え、7点差で7回コールド勝ちとなった。
 一旦は逆転されて冷やりとしたものの、早実打線の振りはまずまずだったらしい。一番の安田は、3安打の活躍だったそうだ。楽しみな新人が出てきたものである。

 東京は今日は30℃まで届かず、球場もまずまず凌ぎやすかったとか。ああ、観に行きたかった。
                           (谷川彬良)

日本、優勝

 2勝2敗で迎えた日米大学野球第5戦(最終戦)は、日本が8-7でサヨナラ勝ち。前回大会(07年・米国開催)に続いて、連覇を果たした。

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 ぼくは満足していた。日本が勝ったから、優勝したから、というのは二の次。両チームが見せた勝利への執念が感じられた試合だったからである。

 米国の9回表の3点。エラーが絡んだとはいえ、これまで抑えられていた菅野をとらえた、見事な攻撃だった。
 そして、3点を奪われて敗色濃厚と思われた9回裏の日本の同点劇。二死1、2塁から、3番加藤が左中間への2点二塁打で1点差。
 この時の中堅手がトライしたダイビングキャッチ。グラブはわずかに届かなかったけれども、何が何でも捕ってやるの気迫が感じられた。

 続く4番中原が、右中間への二塁打で同点。なおも続くサヨナラのチャンスに、内野ゴロの中田は必死の一塁ヘッドスライディング。アウトにはなったものの、これまた気持ちの入ったプレーだった。
 是非はともかく、一塁へのヘッドスライディングは“熱く”なるプレーだ。

 11回裏、先頭の小池が粘りに粘って四球。10球以上にはなったかな?、とは思っていたが、報道で「15球」だったことを知った。
 最後は、米国の二つのエラーでサヨナラ勝ちするわけだが、ことごとくファウルで粘って出塁した小池の粘りは、日本チーム全員の気持ちを表していたように思う。あれだけ投げさせると、特別な雰囲気になる。

 9回を終わって、7-7。勝利の女神はどちらかに微笑むことになるのだろうが、どちらが勝っても、どちらが優勝になっても、もうどちらでも良いような気がしていた。
 両チームとも大事な場面でエラーが出てしまったけれども、それもまた野球である。

 日本の優勝という結果になったとはいえ、ほとんどが一、二年生だった米国も素晴らしいチーム。来年の世界大学野球選手権は、また厳しい戦いが待っていることだろう。
 両チームには素晴らしい試合をありがとう、と言いたい。5連戦、お疲れさま。
                             (谷川彬良) 

2009年7月15日 (水)

決着は最終戦

 09年日米大学野球第4戦は、8-3で日本の勝ち。対戦成績を2勝2敗とした。
 大学日本代表には謝らなくてはいけない。決着が最終戦までもつれてくるとは思わなかった。
 というのも、投手陣はともかく、日本の打撃陣は昨年あたりに比べると小粒のような感じが大会前からしていたのだ。
 その上、第1戦で、米国先発のコールに手も足も出ず……だから、今夜の第4戦で米国が優勝を決めるような気がしていた。

 しかし、今夜の米国優勝決定の条件として、「コール先発」があった。打線は他の投手に対しては得点できることが分かったけれども、それでもコール相手では取れても2点かな?、と思っていたのである。だから今日、コールが出てきたら、日本は厳しいな、と。
 兎にも角にも、これで2勝2敗のタイ。明日の第5戦は勝っても負けても最終戦。「勝ったほうが優勝」の試合ほど、面白いものはない。

 しかし、不気味なのだ。今日の第4戦、コールは十分に先発ができただろう。体力もありそうな投手である。それなのに、最終戦にとっておいた。
 一つ負ける余裕がある。ならば大会関係者が望む「最終戦決着」でもかまわない。万が一、第4戦に負けても、こちらにはコールという絶対的な切り札がいる。最終戦で白黒はっきりつけてやろうじゃないか――米国の考えはこんな感じかな?

 最終戦になれば、日本の先発は大学球界を代表する斎藤佑樹。エース同士の投げ合いをむしろ望んで、コールを第5戦に残したのではないだろうか。
 もちろん、コールにもう1日の休養を与え、より万全を期す意味もあったろうけれど。

 雌雄を決する最終戦で、エースがエースに投げ勝つ。最終戦決戦は、日本も望むところだ。(3回戦を終わって1勝2敗だったのだから、望むしかなかったのであるが。 笑)
 米国のエース・コールは、メジャーリーグでもエースになれる可能性がある。その投手に投げ勝てば、斎藤は“印籠”を手にすることができる。
「おれはあのコールに投げ勝ったんだぞ」
「ははーっ」(とひれ伏す)

 いや、この言い方は正しくないかもしれぬ。
「おれはあの斎藤佑と投げ合ったことがあるんだぞ」
「ははーっ」
 国際的な大エース(になるはず。 笑)・斎藤佑と対戦したことを、むしろコールが“印籠”として使うようになるかもしれないではないか。(笑)

 さて、神宮球場の第5戦。どんな結末が待っているだろうか?
「ここ一番」に強い斎藤佑が投げ勝つような気がしてならないが――。
                               (谷川彬良)

2009年7月14日 (火)

さすがは斎藤佑樹

 日米大学野球第2戦(東京ドーム)は、終盤ハラハラさせながらも7-5で日本の勝ち。1勝1敗とした。
 さすがは斎藤というべきだろう。立ち上がり見るからに制球が不安定で2失点するも、回を追うごとに調子を上げて、5回4安打2失点。

 球種や球の軌道に慣れられて危なくなっていく、のではなく、米国打線に的を絞らせない。
 斎藤が自分の投球さえできれば、そうそうは打たれない、ということであろう。

 斎藤は7回ぐらいまで投げるんだろうと思っていたが、点差が4点あったためだろうか、5回でお役御免。
 しかし、救援陣が斎藤の好投をフイにしそうになってしまった。大石は6回こそ危なげなかったが、7回は連打と死球で一死満塁のピンチを残して、乾に交代。
 その乾は、4番ニューマンにライトへ3点打を浴びて、一気に試合が緊迫してしまったのだ。

 乾は8回、一死満塁を残して降板。この大ピンチを救ったのが、菅野。3番、4番の怖い打者を連続三振で退けた。
 今日の殊勲者は、斎藤佑と菅野。菅野は初めて見たけれど、150キロ超の速球を投げる素晴らしい投手。巨人・原監督の甥っ子ということだから、行く末は巨人なのかな?

 さて、5回で降板した斎藤は、もう一度先発があるのだろうか? できることなら、米国の速球投手コールと投げ合う姿を見たい。
 この日の最速が142キロ(だったと思う)の斎藤は、第1戦のコールの速球を見て何を思っただろう。今の斎藤は直球にこだわっているから、「おれも直球で勝負したい」とますます刺激されたのではないか?
                           (谷川彬良)

2009年7月12日 (日)

皇太子ご一家、野球観戦

 皇太子ご一家が、7月12日のプロ野球・東京ヤクルトスワローズvs横浜ベイスターズ(神宮球場)を観戦なさったそうだ。
 春に行われ、日本が2連覇を果たしたWBCをご覧なった愛子様が野球に興味を示されて、この日の観戦となったとのことである。

 天皇家は、昭和天皇の時代から野球にご興味をお持ちでいらっしゃるが、まだ7歳の愛子様が興味を示されたことは、一野球ファンとしてとても嬉しい話である。
 愛子様は、観覧席で笑顔を見せていらしゃった。

 皇太子ご一家のお住まいになる赤坂御用地と神宮球場は、目と鼻の先にある。神宮球場脇の有名な銀杏並木で、何年か前にご一家が散歩されている光景がニュースで流れたこともある。
 天皇杯が下賜されている東京六大学野球も、たくさんご覧になっていただきたいものだ。

 私事で恐縮であるが、3年前の秋だったか、青山通りの豊川稲荷脇の横断歩道をぼく一人が渡ろうとした際、左折してきた車が待ってくれたことがある。
 立派な黒い車であったので、誰が乗っているんだろう?、と後部座席を見ると、秋篠宮御一家でいらっしゃった。
 その御車がぼくが渡るのを待っていただいているなんて、何と恐れ多いこと。(笑) 最敬礼をしつつ、足早に通り過ぎたことは言うまでもない。
                        (谷川彬良)

負けちゃいましたね

 都議選の投票をし、その後の用事を済ませて夕方に帰宅し、速報をチェック。日米大学野球選手権の初戦は、日本が0-3で敗れたことを知った。
 映像を見ていないので本当のことはわからないけれど、点差以上に“完敗”だったのかな?

 日本は、先発二神が2失点、東浜が1失点したということだが、合計3失点ならば投手陣としては合格ではないだろうか?
 昨年の細山田、大野という大学球界を代表する2捕手が抜けて、ディフェンス面を心配していたのであるが、それほど心配は要らないのかもしれない。

 むしろ、心配なのは打線。大会前から、昨年の大学ジャパンと比べて得点力が低いように感じているのだけれど、今日の初戦は無得点に終わった。
 まあ、米国の先発コールは今日の最速156キロ(自身の最速は163キロ!)で、おそらく150キロ台を連発したのであろうから、そんな速い球を初めて見る日本の打者が面食らったのも無理はあるまい。

 肝心なことは、敗戦の中から今後につながる“何か”をつかんだかということ。相手守備の“穴”でもいいし、今日打たれた打者の苦手コースを発見した、とかでも良い。
 それをつかんでの敗戦であるならば、気落ちすることはあるまい。

 短期決戦で重要なのは、第2戦。日本シリーズ(7戦制)を戦う監督もよく口にするし、大学ジャパンの榎本監督も初めから「第2戦が大事」と語っている。
 ならば、明日の東京ドームでの第2戦をものにすれば、数字の上でタイに持ち込めるし、精神的には優位にも立てるだろう。

 日本の命運は、やはりこの人、第2戦先発予定の斎藤佑樹にかかってくる。ぜひとも米国打線をシュンとさせる快投を見せてもらいたい。
 日本に大量点は望めない気がするので、斎藤には1点に抑えてもらい、2-1くらいで日本勝利かな?
                              (谷川彬良)

2009年7月11日 (土)

東京も開幕

 夏の甲子園を目指す東・西東京大会の開会式が、神宮球場で行われた。東京の参加校は、東西合わせて264学校。一部不参加校を除いて、東西それぞれが3校ずつ、レフト側、ライト側から同時に入場行進した。
 昨年の優勝校、準優勝校が優勝旗、準優勝杯などを返還。昨年、西東京大会準優勝の早実・中野主将は、これまでやんちゃなイメージだったけれど、今日は大人びた表情をしているように感じた。

 今日は神宮球場に行くことも考えたが、東京ローカルでテレビ中継があるので、仕事をしながら見ていた。
 開会式後、昨年の大会の決勝・早実が日大鶴ヶ丘の模様がテレビで流された。うーん……あの悔しさを思い出してしまった。(笑) 最後、ゲームセットとなった併殺打の小野田が、一塁にヘッドスライディングをしたシーン……。
 今年の早実は、どこまで勝ち上がってくれるのだろうか。

 ――――――――――――――――――――

 この時期になると、高校野球にまつわるいろいろな話が目や耳から入ってくる。

 朝日新聞に載っていた話だ。
 東京のある高校。ある野球部員は二分脊椎症という難病を抱えながらも、周囲にはそのことを隠しながら他のメンバーと同じ練習を続けた。頑張り屋だったそうだ。
 だが、昨年6月。肝臓がんに侵された。それを知った部員たちは、秋の都大会で背番号「20」を彼にあげることを監督に訴えた。
 監督は頷いた。他にもメンバーがいるのに、入院している彼にベンチ入りの背番号を与えたのである。

 しかし、この野球部は、19人で戦うことになった。「20番」のユニフォームは、病室に飾られた。だが、意識が混濁することが多くなり、昨年10月、彼は16歳の短い生涯を閉じた。
 11月の17歳の誕生日。部員たちは彼の練習ユニフォーム(53番)に寄せ書きをして、部室に飾ったという。そのユニフォームは、この夏の大会でベンチ入りするそうだ。

 ――――――――――――――――――――

 今朝、大分県で、県大会の開会式に向かう柳ヶ浦高校の部員を乗せたバスが横転し、二年生部員が一人死亡した他、多くの部員が大けがをしたという。
 このバスに乗っていたのは控え部員で、別便のベンチ入りメンバーは開会式に出場できたという。

「さあ、今日から」という時の何とも悲しく、残念な事故。
 ご冥福を祈る。
                            (谷川彬良) 

2009年7月 6日 (月)

日米大学野球、斎藤佑への期待

 来週(7月12日~)から、日米大学野球が始まる。2年前の前回、米国開催で初めて優勝した日本チームが連覇を果たすことが出来るのかが、まずは注目される。
 日本チームで一番注目される選手は、やはり斎藤佑樹(早大)になろうか。

 一年生で出場した前回大会は、第3戦に先発して勝利投手となり、優勝に王手を懸けた。
 しかし、優勝が決まった後の第5戦、5番手で登板した斎藤は敗戦投手。高校三年時から続いた「無敗神話」が崩れる苦い経験もした(自責点は0)。首を振りながら降板する斎藤を、今でも覚えている。
 その意味では、今大会は斎藤にとって、リベンジの舞台とも言えるのかもしれない。

 斎藤はどのような使われ方をするのだろうか? リリーフ構想も捨てがたいとは思うが、やはり先発が一番似合うのではないだろうか。
 ただし、チームの“顔”として、勝負どころでの救援も見たいとも思う。

 斎藤の最大の目標は日本チームの優勝であるだろうけれど、個人としても絶好のアピールの場でもある。
 日米のスカウト陣が集結するこの大会。来年のドラフトの超目玉になっているが、もしもいきなり大リーグを目指すのであれば、ここで結果を残しておきたいものだ。
 メジャー予備軍の米国打線をきっちり抑えられるようなら、最高のアピールになる。一度は投げておきたいという「150キロ」も、この大会でのクリアを狙っているのではないか。

 ――――――――――――――――――――

 時々、スピードガンの“功罪”を思う。スピードガンは、速い球を投げられる投手が優秀で、そうでない投手は劣る――の一つの基準を生み出した。(ある意味では正しく、ある意味では間違いであると思うが)。
 しかし、優秀な投手とは、突き詰めれば「点を取られない投手」である。速い球を持っていても、打ち込まれる投手はいるし、最速が130キロ台であっても、変化球とのコンビネーションを武器に「エース」であった投手もいるのである。

 もしスピードガンが無いとしたら、斎藤は「150キロ」を追い求めただろうか? 「速い球」を投げたいとは思っただろうが、「150キロ」を目標にすることはなかったのではないか?(当然だ。スピードガンが無ければ測りようがない。 笑)
 NHKのインタビューでは、「142~143キロでも空振りをとれる」というようなことを自信満々に語っていたから、今のままでも十分におつりの来るスピードを斎藤はすでに持っている。

 それでも「150キロ」の看板が欲しい。常に150キロを投げるつもりがないのなら、それほど必要ではないようにも思う。
 ただ、「150キロ投手」であることは打者に無言のプレッシャーを与えるだろうし、斎藤側にとっても心理面で優位に立てる、ということなのか。

 観客の一人としてみた場合、スピードガン表示は野球観戦の楽しみの一つになっている。
 投手が投げるごとに、スコアボードの表示に目が行くクセがついている人も少なくないのではないだろうか。
 その楽しみを知ってしまった以上、スピードガンが無くなったら野球の面白さの何割かが減るような気もする。

 ――――――――――――――――――――

 野球とは関係ない話だが、お許しを。

 7月4日、米国独立記念日。明るいニュースが入ってきた。「自由の女神」の王冠展望台が、約8年ぶりに見学できるようになったのだ。
 2001年9月11日、あの同時多発テロの直後から、「自由の女神」は立ち入り禁止になっていた。04年に台座部分への立ち入りは可能になったものの、王冠部分は閉鎖されたままだった。

 前大統領が就任した年にテロが起こり、そして今年、オバマ新大統領が就任して立ち入り禁止が解除された。
 自由と民主主義の象徴である「自由の女神」が、やっと自由を取り戻した、と言っていいだろうか。

 もう10年以上前のこと、「自由の女神」の体内に入ったことがある。王冠部分に上がるために、中の階段で順番待ちをしていたのであるが、あいにくの雨と風。
 まあ、雨は関係ないと思うのだが、そこそこ強い風が吹いていたために、王冠部分の立ち入りは中止されてしまった。本当に残念だった。

 間近に見る「自由の女神」はもちろん素晴らしい。中に入ると、女神の胎児になったかのような幸せな気分にもなる。
 もう一つ、感動を覚える場所がある。「自由の女神」のあるリバティー島へは、バッテリーパークからフェリーで向かうのだけれど、島が近づいて来ると進行方向右側に、ふっと「女神」が現れる。その瞬間の気持ちを何と表現したらいいものか……。「神」を前にした、神々しい気持ち、とでもいうのだろうか。

 その時以降、ニューヨークには行っていない。今のところ予定はないけれど、「王冠」到達はやり残している宿題(笑)のようなものだ。
 死ぬまでに一度でいいから、王冠からマンハッタンを眺めてみたい。それまで、いや今後ずっと、再び立ち入り禁止になる事態が起こらない、平和な世界が続くことを祈るばかりだ。
                          (谷川彬良)

2009年7月 5日 (日)

応援席の気になる男(2)

 東京六大学野球リーグ戦。この春の早大の試合は、何度か学生応援席に近いところで観戦した。
 高校時代から気になるあの男が応援部に入部し、元気な姿を見せてくれていたからだ。

 M君は、某高校で応援リーダーを務めていた。細い躯体に学生服をまとい、風になびく長めの前髪。「巨人の星」の花形満のよう。風がなくても腕を振り、体を動かすたびに、さらりさらりと揺れる。
 その姿がいかにもかっこいい。元々は妻がファンだったのであるが、母校が必敗の状況でも選手を鼓舞し続ける彼に、ぼくも好感を抱くようになっていた。

 高校では最上級生として応援をリードしてきた彼が、大学では下っ端としてこれまでにない一面を見せているのが何とも面白い。
 早慶戦で、リーダーの一年生部員は頭の天頂部分の髪だけを残して、側面はぐるりと刈上げ。それだけでも十分に笑えるのだけれど、リーダー台にリーダーの二年、一年とチアが乗り、ダンスパフォーマンスを繰り広げたのだ。

 リーダーがチアを腕で抱えあげる見せ場では、軽量のM君は逆にチアに抱えあげられていたりするわけだ。(笑)
 高校時代は大人の顔をして澄まして応援していた彼も、大学ではピエロ役もやらなくてはならない。彼自身がそういう部分を面白がっているのか、嫌々やっているのかは知らないけれど、応援部員として、また人間としての幅を広げるための役に立つことを願うばかりである。

 彼が4年間、応援部を続けてくれるだろうか。幹部になると、髪をオールバックにするリーダー部員が多いようだが、M君は高校時代のような髪型が似合うのではないか? 
 もしも主将になったら、エール交換で校歌を振る際に、前髪がなびいて実にかっこいいだろうと思うのだ。

 ――――――――――――――――――――

 7月4日(土)、パシフィコ横浜で行われた「海のエジプト展」記念シンポジウムに行った。
 パネリストは、フランス人海洋考古学者のフランク・ゴディオ氏、近藤二郎氏(早大教授、早大エジプト学研究所所長)、野上健紀氏(NPO法人アジア考古学研究所副理事長)、そして日比野克彦氏(アーチスト、「開国博Y150」アートプロデューサー)である。

 エジプトの海の発掘調査を行うゴディオ氏を、昨年11月、日比野氏が訪ね、日比野氏は海中に潜って、海中に眠るスフィンクス像を海中に居ながらにしてスケッチしたことがある。

 内容については、いずれ主催の朝日新聞社から伝えられると思うけれども、現地で日比野氏が「海中探査船はどこにある?」と聞くと、「そこだ」とホテルの目の前の海を指差された。こんなすぐ近くの海に古代の至宝が眠っていることに、大いに驚いたそうである。
 また、海中でスケッチをしている際、日比野氏から水泡が上がらなくなって(つまり呼吸をしていない)、ゴディオ氏が心配したこともあったという。日比野氏はスケッチに集中して、息を止めていただけのことだったそうだ。(笑)
 クレオパトラが愛した都アレクサンドリア(11キロメートル四方)が、地震か津波といったものによって、一瞬にして(おそらく数秒)で水没したらしいことも驚きであった。

 このシンポジウムでぼくは最も感じ入ったのは、歴史的時間枠の“錯覚”だった。
「ギザの大ピラミッド」は紀元前2570年頃。世界三大美女の一人「クレオパトラ」(7世)が生きた時代は、紀元前数十年。その間には、2500年もの長い時間がある。
 つまり、「ピラミッド→クレオパトラ」よりも、「クレオパトラ→現代」の時間のほうが短いのだ。
 よくよく考えれば当たり前のことで、気がつくかどうかの問題なのだけれど、ピラミッドとクレオパトラをつい「同時代」と括ってしまう人が多い、とパネリスト(近藤氏)は語っていた。

 この日は、このシンポジウムを聞かせてもらっただけで、ゴディオ氏がエジプトの海から引き上げた至宝490点の展示は見ていない。
「海のエジプト展」は9月23日まで開催しているので、いずれじっくりと見るつもりである。
               (谷川彬良)

2009年7月 2日 (木)

応援席の気になる男(1)

「大学野球」(2009春季リーグ決算号)の17ページに、法政大学応援団の団長・田中貴大君が写真付で紹介されている。東京六大学史上初の「親子二代」の応援団長だそうである。
 かつて団長を務めていた父親は、利幸氏だという。「あっ」と驚いた。その利幸氏の下級生時代のことが、かすかにぼくの記憶にある。

 腕を組んだ息子さんの写真は、なかなかの男前である。父親の利幸氏もまた、良い男であった。二重まぶたで、西郷隆盛、あるいは武蔵丸に似た包容力のありそうな、一目見ただけで印象に残る人物だった。
 さすがに、団長を務めるだけの男は違う。ただし、現在の利幸氏についてはまったく知らない。学生時代で比較する限り、男っぷりは息子さんのほうが一枚上かな?(笑)

 久しぶりに、優勝の懸かった法明戦。見事、連勝で6シーズンぶりの歓喜を味わった法政大学。
 以前、このブログの記事で、試合終了後の「学生注目」で言葉を詰まらせていたリーダーがいた、と書いたけれど、この田中団長だったかもしれない。
 春季リーグの開幕日前日、法大野球部グラウンドを訪れた田中団長は、金光監督、石川主将らナインを前に必勝のエールを送ったという。異例の出来事だったそうだ。

 記憶に間違いがなければ、父親の利幸氏の団長時代にも、法政は優勝を果たしたのではなかったか。
「学生注目」時の涙は、団長として父親と同じ目標を果たした責任感も含まれていたのかもしれない。

 ――――――――――――――――――――

 今日(7月2日)のNHKの「クローズアップ現代」に、盲目のピアニスト、辻井伸行さん(20歳)が出演していた。
 米国のバン・クライバーン国際ピアノコンクールで第1位となった後、ドイツでの演奏会の模様が映し出された。

 ドイツに何人か呼ばれた演奏家のうち、辻井さんの演奏会入場料は最安価の約3000円。コンクールで優勝したとはいえ、まだまだ無名なのだ。
 小さなホール。リハーサルに訪れた辻井さんは「小さい(ホールだ)ね」とつぶやく。大きなホールとはまったく響きが違い、ピアノを奏でるまでもなく、自分の足音でホールの器がわかったようであった。

 米国とは違って、ドイツの聴衆の耳は肥えている。それを知っている辻井さんは、緊張していた。
 観衆の中には、辻井さんにはそれほど期待を持っていなくて、「友達が行けなくなったから、代わりに来た。大した演奏でなければ、すぐに帰る」と言う人も混じっていたくらいだ。

 介添えの人と舞台に出て行き、ピアノの前に座る。しかし、緊張からなかなか弾きだすことができない。
 緊張を抑えるために、ハンカチで鍵盤を拭い、気息を整えたほどだった。

 しかし――。緊張などかけらも感じさせないほど滑らかに、演奏が始まった。始まってしまえば、もう辻井氏の世界である。体を大きく揺らしながら、鍵盤を愛しむ。
 聴衆の表情が変わった。何度も頷く人。微笑む人……演奏が始まる前とは、明らかに雰囲気が変わった。

 数曲を、辻井さんは弾き切った。沸き上がる拍手。極東の小国からやってきたピアニストへの惜しみない賞賛の嵐だ。
 舞台に出てきたときと同様、介添えの人と舞台袖に下がる辻井氏。舞台の扉が閉じられる。

 そのまま楽屋に戻ろうとするが、立ち止まって耳を澄ますと……拍手が鳴り止んでいない! 演奏者にとって、こんなに嬉しい瞬間はないに違いない。
 辻井氏は、自ら舞台に出て行き、アンコール曲を弾いた。用意していなかったので迷ったようだったが、優勝したコンクールで演奏して一番盛り上がった曲を弾いた。
 弾き終わった辻井氏に、スタンディングオベーションが待っていた。

 ――――――――――――――――――――

 辻井さんが優勝したバン・クライバーン国際ピアノコンクールのある審査員の採点紙には、文字が書かれていなかった。白紙である。こんなことはありえない。辻井さんの演奏があまりにも素晴らしく、思わず聴き入ってしまったのだという。
 普通、コンクールに出てくる若者はやたらと音が大きかったり、これでもかとテクニックに走って演奏が速くなったりするのだそうだが、彼の演奏はそのような無用に誇張する部分がなく、自然に、ゆったりと、心地よく響いた。最近では珍しいことだそうである。

 辻井さんは、これから内外での多くのコンサートを通じて、名声を高めていくことになる。
 まだ20歳の若者である。番組の中で本人は、「音楽以外のいろいろな経験をしたい」と語っていた。

 辻井さんには、「恋」をしてもらいたいと思う。いや、プライベートのことは何も知らないから、もしかしたら今だって恋をしているかもしれない。もしそうなら、これからもっとたくさん恋をしてほしい。
 人は「恋」をすることで変わる。世界が一変する。(そんな経験は皆さんもお持ちでしょう?) 両想いでも、片想いでもかまわない。たとえ悲恋だとしても、マイナスになることはない。そうした経験が、彼の音楽により一層の情感を加えることになるはずである。
                          (谷川彬良)

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