初めての甲子園、観戦雑記
3月26日(木)、初めて甲子園を訪れた。第81回選抜甲子園大会第5日。天理-早実、彦根東-習志野の2試合を観るために、だ。
家を出たのは、朝5時。東京駅着5時半。始発の「のぞみ1号」は6:00発なのだが、早め早めに動くのが好きなので、銀の鈴を眺めたり、売店を覗いたりとゆったりと駅で過ごした。
「団体待合室はどっちだろう?」と急ぎ足の親子連れや、臙脂色を身に着けているグループなど、明らかに「甲子園行き」の人たちとすれ違ったりした。
新幹線に乗るのは、2006年9月、「吉田拓郎&かぐや姫inつま恋」のために静岡県掛川まで利用して以来である。
新大阪-梅田-甲子園と電車を乗り継いで、甲子園球場に足を踏み入れたのは9時半少し前。意外に早く着き、第1試合の富山商-興南の2回途中から観戦した。
連れの妻は甲子園2回目(3年前の選抜大会の早実初戦以来)だが、ぼくは初めて。神宮球場と比べて、器の大きさの違いが第一印象。グリーンで統一された観客席のシンプルさが第二印象。
座った席は、三塁側内野席。アルプス席との境にあるフェンス際に陣取った。
ここならば、応援席に居るのとそう変わらない雰囲気が味わえる。
そうそう、初めての甲子園なので、チケットの半券を保存しておこうと思ったのだが、入口のもぎりのお兄ちゃんがビリッ……と見事に二つにちぎってしまった。
「あ、すみません……」と謝ってくれたが、苦笑いするしかない。(笑)
観客席には、神宮球場でお見かけするお顔もチラホラ。アルプス席や、内野席のもっとホーム寄りだったら、もっと“知り合い”がいらっしゃったのかもしれない。
そういえば、梅田駅で阪神線切符を買うとき、隣の券売機で買っていたメガネの男性は、神宮で毎試合必ずお見かけする方だった。
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さて、天理-早実の伝統校対決。早実が4-3でサヨナラ勝ちした。
最後の場面は、9回裏一死二塁で打者は6番の小野田。この日、レフトへ見事なホームランを放っている。一塁が空いているのであるから、普通なら敬遠してもよいところだ。
フォースプレーができ、併殺も可能になる。もう1点も2点も関係ないところまで来たのだから、当然そうするものと思っていた。
だが、天理バッテリーは勝負。その初球を小野田はレフト線にはじき返した。
ぼくのいた位置からは、打球の落ちた場所がフェアゾーンかファウルゾーンかすぐにわからず、審判が手を広げたのを見てようやくフェアと確認したのだった。
歓喜の渦の中、横を見ると、妻が喜びつつも何かを探している。「どうした?」と訊くと「双眼鏡がないの」。
手に持っていたはずの双眼鏡は、しばらく見つからなかったのだが、捜索範囲を広げた結果、3列前の座席下から発見された。いったい彼女は、どんな喜び方をしたのか。(笑)
試合前、早実の選手が登場し、三塁側で小野田がピッチング練習を開始。すると、すぐ横の観客席に数十人の人だかり(ほとんどが少年ファン)ができて、カメラを向けていた。
甲子園初登場ながら、小野田はすでに知られているらしい。3年前の選抜に斎藤佑樹がやってきた時は、こんな光景はなかったはず。「斎藤二世」として、注目度の高さはなかなかのもののようである。
試合中盤には、「オリンピックに再び野球を」のキャンペーンで、斎藤佑樹と田中将大の映像が流れた。
二人とも、憂いを含んだ表情。斎藤が映った際、早実応援団からは大拍手が起こったが、直後に天理の反撃を許した。
そういえば、早実側アルプススタンドには、神宮球場でもよく見かける週ベ(?)の女性カメラマンがいて、応援風景を撮っていた。
天理の応援は、素晴らしかった。声がよく出ていたし、ブラスバンドの演奏も優秀。初めて目にした生の「ワッショイ」は迫力十分だった。
行進曲「ナイルの守り」が、何度か演奏されていた。ぼくが中学の頃よく演奏した曲で、とても懐かしく、しばし天理応援席に耳目を集中させた。
このブログを読んでくださっている中にも、天理側に座っていた方がいらっしゃることでしょうね。
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続く第三試合は、彦根東-習志野。彦根東は2月に亡くなられた早大野球部OB山内政治さんの母校である。
ぼくの予想では、習志野がかなり優位にあるのではないかと思っていたのだが、彦根東は守備も打撃もよく鍛えられていた。
できれば彦根東側(一塁側)で応援したかったのだけれど、内野席は一塁側、三塁側は別チケットなので、三塁側から声援を送った。
反対側で良かったと思えたことが一つ。彦根東の真っ赤な応援席を正面から見られたことだ。何しろ、ブラス部員を除いて、応援席全員が同じ赤を着、赤い帽子をかぶっているのである。壮観。ひなげしの花畑のように見えた。ブラスバンドのスーザホーンには「赤・鬼・魂」の3文字が貼り付けられていた。
習志野の応援が、またすごい。ブラスバンドは人数も多く、早実の二倍の音量はあったろうか。その音圧を左側から受けながら、ぼくは観戦していたのである。
感心したのは、演奏がしっかりしていたことだ。これだけ部員がいると、時折変な音を出す輩がいるものなのだが、そういったミストーンがほとんどない。
調べてみたら、習志野は昨年秋の全日本吹奏楽コンクールで「金賞」。前試合の天理高校もまた「金賞」。上手いのも当然なのであった。
さて、試合のほうは、天理-早実に負けず劣らず、素晴らしい内容で、最後は習志野が9回サヨナラ勝ち。
56年ぶりの甲子園となった彦根東は、エース金子が脱水症状で痙攣を起こし、6回途中に降板したのが残念だった。
試合終了の瞬間、少しばかりこみ上げてくる感情があった。喜びに沸く習志野側スタンドで、神妙な顔をしていたのはぼくくらいのものだったろうか? それにしても、彦根東は大健闘だった。負けたとはいえ、OB諸氏もファンも、納得しているのではあるまいか。
しばらくグラウンドを眺めてから、席を立った。観客席を出る直前、もう一度、グラウンドを振り返った。今年から上本博紀が、この球場でプレーすることを思い出したのである。
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家に娘を一人で残してきてしまったので、すぐに帰るつもりだったのだけれど、別居を始めた息子が帰ってきているとのことだったので、夜まで大阪にいることにした。
通天閣を初めて見、近くのたこ焼き屋でやけにトロトロのたこ焼きを食べた。芸能人も立ち寄る店らしく、店前には何人もの写真が飾られていた。美味しかった。
梅田に戻り、ビルの屋上にある観覧車に乗る。大阪の夜景。まずまず。
観覧車に乗る前に係員に写真を撮られ、降りてきてから「よろしかったら、記念にいかがですか?」と1000円で売っていたが、ぼくの写りがイマイチだったので買わなかった。(笑)
そうこうするうちに、「のぞみ58号」(東京までの最終)の出発時間(9時20分)。缶ビールを買って、乗り込んだ。
家に着いたのは、日付変わって0時過ぎ。娘の第一声は、「Yさん(仕事先の人)から電話があったよ」。
「何時頃?」
「夕方」
「なんて言ってた?」
「お父さんはいらっしゃいますか、って」
「それで?」
「大阪(のほう)に行ってます、って言ったら、『お、お、お、お・お・さ・かーっ?!』って」
Yさんは、仕事の進行状況を聞いてきたのだ。間に合うかどうか厳しいことを知っていたからこそなのだけれど、ぼくが大阪のほうにいると聞いて、ぶっ飛んだのだろう。(笑) 娘は「そういえば、Yさんの声、震え気味だったかも」。う~ん、マズイかも。(笑)
まあ、いいのだ。甲子園であの熱戦を見られたのだから。
それにだ、〆切はまだ過ぎていないのだから、堂々としていればいい。火事場の馬鹿力。追い詰められた人間は、時に思いも寄らない力を発揮する。前の記事で「絶望的」とは書いたけれど、ぼくはまだ諦めてはいない。
まあ、期日が過ぎてしまったら、謝って下を向くしかないが、ぼくはこれまで〆切に遅れたことはないので、たぶん間に合うはずである。(こんな記事、書いてるヒマはないだろ?、の声あり。 笑)
甲子園は、仕事を見事に忘れさせてくれた。
甲子園よ、ありがとう。(笑)
(谷川彬良)




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