六大学野球、録画中継中止に思う
東京六大学野球リーグ戦を全試合録画中継していた第2日本テレビが、今年は放送しないことを決めたそうである。
六大学野球ファンとして、こんなに残念なことはない。
東京六大学野球連盟に問い合わせたところ、「制作費がかかりすぎるそうです」と答えてくれた。
しかし、何を放送するにしたって、制作費がかからないものはない。「制作費に見合う収入につながらなかった」が本当のところであろう。莫大な制作費がかかったとしたって、相応の利益を生むならば放映するはずである。
あるいは、連盟側が今年から放映権料をアップしたか?(この不況下では考えにくいが) その可能性も否定できないが、それよりも斎藤佑樹人気に乗っかろうとしたけれど、それほどの“旨味”はなかったと考えるのが自然かもしれない。
録画を見てもらえるカードに偏りがあった可能性も高い。
しかし、一時の爆発的な人気は落ち着きを見せたとはいえ、潜在的な「斎藤佑樹ファン」は相当な数がいるであろう。しかも、全国区といっていいはずだ。
神宮球場から遠い場所にお住まいのファンの中には、この録画中継を拠り所としていた方が少なくないと思う。
しかし、神宮球場に足を運べる場所に住んでいる人にとっても、じつは中継録画の熱心な利用者はたくさんいる。
ぼくもその一人。球場で見逃したプレーやもう一度観たいプレー、テレビ画像ならではの選手のアップの表情など、帰宅してからもポイント、ポイントを再生させてもらった。昨年春の「原の一塁へのヘッドスライディング」(対法大)や、秋の「上本の超ファインプレー」(対法大)など、感動しながら何度見せてもらったことか。
もちろん、球場に駆けつけられなかった時には、中継録画が頼みの綱だった。
中継録画は、情報の宝庫でもあった。各種データ、選手の現在の調子や怪我の情報、プライベートな話まで持ち出してくれることもあった。
生で観る試合と、中継録画の試合は、大げさに言えばぼくの中では“別物”。カーナビなしでドライブに行って、帰宅後に地図でルートを確認するような楽しさも併せ持っていたのである。
こんなこともあった。球場で観戦し、全部を知ったつもりで書いた当ブログ記事に対し、録画中継をご覧になった遠方の読者の方から、ミスを指摘していただいたこともあるのである。
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録画中継がなくなることで、数少ないプラスに働くかもしれないのは、観客動員数であろう。生で観るしかなくなったとなれば、これまで時間差には目をつぶりながら自宅観戦を楽しんでいたファンの何割か、何%かは、球場に足を運ぶであろう。
第2日テレの放映撤退によって放映権料収入はなくなっても、入場料収入の増加を考えれば、連盟にとっては痛手でも何でもないのかもしれない。
選手やファンにとっても、プラス面はある。選手は、多くの観客の中でプレーする充実感を味わうことができる。
球場に足を運ぶファンもまた、熱気の中での試合に興奮度を高めることだろう。かつての六大学野球は、早慶戦以外でも満員になったこともある。満員のスタンドは、眺めるだけでも気持ちが良い。
しかし、そのようなプラス面を考慮しても、「録画中継なし」のマイナス面は大きい。
早慶戦はおそらく地上波での放映があるにしても、それ以外の試合は、最多でも3万余の人しか目にできなくなってしまうのだ。
前記事で書いた「東京監督対談」で、劇作家の野田秀樹氏は次のように語った。
「不況になると真っ先に削られるのは、(日本では)文化・芸術になっちゃう。だけど本当にキツいときに心の支えになるのって、これらなんだよね」
野田氏の拠点の一つであるイギリスと、日本を比較しての言葉である。イギリスには文化・芸術が根づいているが、日本は違う、と言っているのだ。
不況の折、企業論理からすれば、まずは文化、芸術、スポーツなど、“本体ではない部分”を切り捨てようとする。このところ、アイスホッケーや球技などから、名門チームの撤退が相次いだ。
しかし、あまり良いニュースのないこんな時代、世の中だからこそ、文化や芸術、そしてスポーツから、元気や勇気、感動をもらっている人がどれだけいるか、も考えてもらいたいのである。
神宮球場の間近に住んでいても、病床にあったり、体が不自由で自宅を出られない人だっていらっしゃると思うのだ。
もっとも、スポーツ中継の要望は、六大学野球に限ったことではあるまい。ただ、いつも必ずそこにあったものが突然なくなることは、何に限らず特別な寂しさをもたらす。
第2日テレの撤退を、「これも時代」の一言で括りたくはない。“復活”の日が来ることを、切に願う。
(谷川彬良)


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