フォト

-天気予報コム-
無料ブログはココログ

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008年12月30日 (火)

皆様、良いお年をお迎えください

(文末に個人的追記あり:12月31日)

 たくさんの思い出の断片を残して、2008年も暮れていく。皆様にとって、どんな一年だったでしょうか。

 年頭の期待として、早大野球部は春に4連覇、秋に5連覇があったわけだが、春、わずかの差で優勝に届かず無念だった。
 それでも秋に雪辱を果たし、気持ちよく新チームにバトンタッチ。上本前主将を先頭にした全力プレーには、大きな拍手を送りたい。

 弟分の早実は、夏の西東京大会、秋の都大会、ともに準優勝。あと一歩のところで、甲子園を決められなかった。
 それでも来春の選抜大会への出場が有力とされており、次につながる戦いをしたことに、これまた拍手である。

 ――――――――――――――――――――

 突然思い立って、07年7月に始めたこのブログ。昨年は読んでいただく方も少なく、メールをいただいたのもほんのわずか。
 ところが、今年は読者の方がずいぶんといてくださり、ご感想、ご意見、励まし、時にクレーム……などのたくさんのメール、また記事へのコメント欄にもたくさん書き込んでいただいた。
 改めて、お越しくださった方々に、御礼申し上げます。

 読者の方に直接お会いする機会はなかったが、神宮球場ではお仲間としての“気配”を少なからず感じさせていただいた。
 観戦したその日、「今日は一塁側の○○のあたりに座っていましたよ~」のお便りをいただいたこともあった。
 観客席でぼくが「こんな会話を耳にした」と書いた際には、「それは私の友人だと思います」と教えてくれた方もいらっしゃった。
 夏に初めてメールを下さったメール主さんが、昨年の明治神宮大会で初対面ながらおしゃべり観戦した方だと判明したことも……。

 そんなこんなで、同じ神宮球場でありながら、昨年と今年では、ぼくの「観客席」に対する親近感が格段に違ったことは確かである。

 ――――――――――――――――――――

 ブログというツールは、一方的に発信するだけのものと当初は考えていたのだけれど、お寄せいただく「声」から、さまざまな方の人物像や生活が垣間見えもした。
 いつも忙しくされている方、何時間もかけて神宮に通っていらっしゃる方、悪だくみを発動して(笑)試合に駆けつけた方、「私も吹奏楽やってました」という方、お体を悪くされている方、新しい人生をスタートさせた方……。

 ドジな男が前歯を失くした際には、多くの励ましや「私も歯を折ったことがあります」の言葉に、その男はどれほど救われたことか。
 渋谷区で爆発火事があった時に、ぼくの身を案じてくださった方もいらっしゃった。

 そして10月には、ブログから一つの大きな輪が大きく広がっていき、形のないパワーがつくられるという貴重な経験もさせてもらった。

「ブログの記事に、いつも力をもらっています」「今日の記事、とても良かったです」などという、もったいないお声もよくお寄せいただいたけれど、このブログを通じて力をもらっていたのは、むしろぼくのほうではないかと思う。皆様には、本当に感謝しています。

 この一年、つたない文章を読んでいただき、ありがとうございました。今日のこの記事を、本年の最後といたします。
 良いお年をお迎えください。
                        (谷川彬良)

(追記: マーシーさんへのコメントに記しましたように、失くした前歯がようやく復活いたしました。ご心配いただきました皆様、本当にありがとうございました。簡単ですが、ご報告まで)

2008年12月27日 (土)

早大野球部08年・松本啓二朗

 入学したての一年春季リーグは、代打で9試合に登場し、6打数1安打(その1安打は本塁打)。レギュラーになったのは秋からだから、実働7シーズンで通算100安打を達成したようなものだ。
 4年間で333打数105安打.315。通算打率が3割を超えるのは、プロ野球でも大学野球でも実力者の証明である。最後のシーズンは初の首位打者。見事な有終の美だった。

 打撃、走塁、守備。松本のプレースタイルはどれも好きだったけれど、とくに魅了されたのは「肩」だ。
 遠投力に加えて、コントロールの正確さ。捕手の構えるミットに投げる投手のような、ライトから→二塁&三塁&本塁への送球を何度見せてくれたことだろう。

 試合前のノックで、彼の「強肩」を見なくてはもったいない、と何度か書いているけれど、来年から早大ではもう見られない。
 松本に匹敵する強肩の選手は、だれかいるだろうか。あるいは、たとえ「肩」ではなくても、試合前の練習で「これぞ見もの」というパフォーマンスをもつ選手が出現してくれることはあるだろうか。

 ――――――――――――――――――――

 甲子園で、あのダルビッシュに投げ勝った過去をもつ。松本は大学に入ってからも投手を諦め切れなかったそうだけれど、ドラフト1位指名を受けるほどの外野手に成長したのであるから、転向は大正解だったろう。
 いや、投手としても成功して、もしかしたら松本vsダルビッシュの看板対決が実現したかもしれないとも思う。

 しかし、毎試合出場できる野手のほうが、ファンとすれば楽しみが多い。とくに松本は女性に人気があるから(今頃ですみません。 笑)、喜んでいる女性が多いことだろう。

 走攻守、どれをとっても、プロで一流になれる可能性を秘める。いつかは、大リーグでプレーすることも、本人が希望するなら夢ではないのではあるまいか。
 そんな期待を抱いている。

 ――――――――――――――――――――

 松本のことを、ある人が“ささやき啓二朗”と表現していた。それくらい、08年の松本は、練習中も、試合中も、誰かに話しかけて、チームに置き土産をしようとしていたように見えた。

 走者として塁上にいる松本が、相手チームがタイムをかけた隙にホームベースまで走ってきて、次打者にアドバイスを送る場面が秋季リーグで二度ほどあった。
 とくに、二塁からそれをやった時には、優勝に向けて一つのプレーもおろそかにしない姿勢を、強く感じたものだった。
 三塁ベンチからライト守備につく際も、マウンドの投手に一声かけたり、体に軽く触れて「頼むぞ」という光景がしょっちゅう見られた。

1474746_img  12月6日、東伏見での優勝パレードの日も、松本は斎藤佑樹とよくしゃべっていた。
 四年生以外には斎藤しかいないのだから、チームに何かを残すとすれば斎藤に話しかけるしかないのだけれど(笑)、そういう事情がなくても、松本と斎藤は学年の壁を越えて仲が良い。通じ合うものがたくさんあることを、お互いに感じているのだろう。

 昨年までは「クールな松本」のイメージが強かったけれど、08年は人間味をたくさん見せてくれたように感じる。
 下級生にも、ずいぶん頼りにされていたのではないだろうか。

 ――――――――――――――――――――

 ぼくの友人が大学生だった頃、クラブに下級生から慕われる先輩がいたそうだ。
 卒業式を終え、部室でしばらく談笑した後、「じゃあな。みんな元気でやれよ」の言葉を残して、先輩は部室を出て行った。

 ドアがパタンと閉まる。部室のほんわかとした空気まで出て行ってしまい、寂寥感ばかりが残っている。
 先輩は遠い場所に帰る。残された何人かの下級生は、「もう一生会えないかもしれない」との寂しさを抱きつつ、ドアのほうを見ては、30分ほども前に出て行った先輩の顔を思い出している。

 その時だった。カチャッとドアが開き、誰かが入ってきた。
「すまんな、忘れ物をしちゃったよ」と入ってきたのは、その先輩だった。
 一瞬、幻かと思った友人たち下級生は、現実の先輩だとわかって大笑いしたそうだけれど……やがて涙が浮かんできて、泣き笑いになってしまったそうだ。その友人の気持ちは、よくわかる。

 松本も、そんな風に下級生に慕われる一人だったのではないか。安部寮に、何か忘れ物はしていないかな?
                      (谷川彬良)

2008年12月22日 (月)

斎藤佑樹に150キロ超は必要なのか?

 昨日のうるぐすで、江川卓氏が興味深い話をしていた。

 巨人の左のエース・内海が、今シーズン最速の144キロのストレートを投げた際、「これだ!」というものを本人はつかんだというのだ。スライダー、カーブ、チェンジアップといった変化球の良い内海に速いストレートが加われば、より幅の広い投球ができる、と内海が考えるのももっともだろう。

 ところが江川氏は、警鐘を鳴らした。同じフォームでストレートも変化球も投げられていたものが、速い球を覚えることによって、フォームに変化が起き、打者に球種を読まれる可能性がある。
 それだけでなく、それまで外角に絶妙に決まっていたチェンジアップといった変化球まで生きなくなるかもしれない、というようなことを語った。
 なるほど、と思う。そういえば、新しい球を覚えたことで、それまでの持ち球が輝きを失った投手も少なくない。

 ――――――――――――――――――――

 そうなると気になるのが、斎藤佑樹(早大)である。彼は「早く150キロを投げたい」と最近のインタビューで語っている。
 斎藤の持ち球は、スライダー、フォーク、ツーシームといった変化球を、140キロ台のストレートに織り交ぜることで成り立っており、その投球術はまだまだ進化していると言ってよい。

 だが、ストレートで三振を獲りたいがために、150キロ以上の球を投げられるようになったとして、これまでの投球術に純粋にプラスだけがもたらされるならいいが、150キロと引き換えに何かがマイナスになる心配はないのか。

 仮にマイナスが発生するにしても、150キロのストレートとのプラマイで、プラスの結果になっていなければ、努力の甲斐がない。
 ただし、斎藤は修正能力の高い選手だ。何かマイナス面が発生しても、すぐに投球に生かす術を発見するか、ダメならすぐに元の投球に戻せるような気はする。そんなに心配はいらないのではないか。

 プラスが生じなくても、チャレンジすることは無駄にはなるまい。まだ20歳の若者。いろいろなことを試していい歳である。

 斎藤の投球術があれば、常時140キロ台後半のストレートが投げられれば十分かな、とぼくは思っている。
 もっとも、それでは「架空実況」(160キロ)が実現しなくなってしまうが、まあ、それはそれでしかたあるまい。(笑)
                          (谷川彬良) 

2008年12月20日 (土)

クレームが届きました。(笑)

 12月18日の記事(08早大野球部・細山田武史)に対して、読者の方からクレームがつきました。「(笑)」付きであり、きわめて友好的な類のものばかりです。安心しました。(笑)

 ある方のメールのタイトルは、「物申す(笑)」。「細山田が女性にあまり人気がないと思われているようですが、そんなことはありません」という反論である。
 この方、ある時、S投手ファンの友人と神宮に観戦に出向かれたそう。最初のうちはS投手を近くで見て友人はご満悦だったそうなのだが、ある選手を見た途端に目が釘付けに……。それが細山田だったということだ。
 イケメン好きの友人の目は、ハートマーク。以来、S投手を差し置いて、細山田にゾッコンなのだそうである。
“細山田おじさん”の声に女性の声がかき消されているのは本当らしい―—ということにしておく。(笑)

 もう一つ紹介するのは、昨日お会いした方から、直接、ぼくの耳に訴えられた。「松本啓二朗くん、モテますよ」とおっしゃる。柔らかい声色の中にも、確信的な響き……。
 あ、確かにそうかもしれない。ただ、ぼくのイメージとしては、U選手、M投手、S投手とは、モテ方が違うのではないか、と思ったのである。ちょっと説明がむずかしいし、誤解を招くかもしれないのでそれ以上は書かないけれども……。

 他にも「○○選手もモテます」というメールを何通かいただいたが、名前が挙がった選手、そうでない選手の間で波風が立たないとも限らない。
 新チームの平和を祈る一心から、これ以上の選手名を出すことは控えさせていただきます。(笑)
                (谷川彬良)

 

2008年12月18日 (木)

早大野球部08年・細山田武史

 2006年の秋季リーグで正捕手になって5シーズン。07年春に首位打者(.424)を獲得したものの、その秋は1割台(.191。27位)と低迷した。
 さて今年はどうなるのか、期待と不安半々だったが、春は.289(6位)、秋は.264(13位)と健闘した。

 春は二塁打4、三塁打2、秋は二塁打5と長打力を見せたばかりか、勝負強さも。春は8打点、秋はリーグ唯一の二桁となる10打点を叩き出した。(つまり打点王)
 2番打者として小技もこなした上であるから、打者としては十分に合格点であろう。

 では、捕手・細山田はどうであったか。彼がレギュラーになってからのチーム防御率は、以下のようになる。

 06年秋 1.42(優勝)
 07年春 2.18(優勝)
    秋 1.14(優勝)
 08年春 1.18(2位)
    秋 1.41(優勝)
 #細山田がレギュラーになる前は、1.30(優勝)、1.80(2位)、1.79(2位)だった。

 07年春の「2.18」が目に付くが、このシーズンは斎藤佑樹が入ったものの、前年の宮本、大谷の二枚エースが抜け、実績のある投手がいなかった時。
 ただし、防御率は悪かったとはいえ、ここ2年間の3回の優勝で一番安定した勝ちっぷりだったのは、皮肉といえば皮肉か。打撃陣が好調で、細山田も4割を超える打率で首位打者になった。

 次のシーズンからの3季、早大のチーム防御率は安定していた。斎藤佑樹が真のエースとなり、大石という抑えの絶対的エースが登場したこともあるだろうけれど、その力をうまく引き出したのは細山田ということになるだろう。
 首位打者の次のシーズンに打率が1割台に低迷したのは、投手陣のリードに力を注いだ結果だった――ということにしておこう。(笑)

 ちなみに、今季(08秋)のチーム防御率1.41は、早慶2回戦の自責点9が響いている。あの試合、登板する投手、投手にノーコン病が伝染してしまい、捕手の力ではどうにもならない状態だったと思うのだ。
 仮にあの試合が自責点2で済んでいたら、防御率は0.94であった。

 ――――――――――――――――――――

 さて、来年からは横浜ベイスターズである。神宮であちらこちらから「ホ・ソ・ヤ・マ・ダーッ!」の声がかかったほどであるから、横浜スタジアムでも人気者になるんだろう。
 神宮ではおじさんばかりに人気が高かったのが気になるが(笑)、同性に慕われる人間に悪者はいないとも言うから、まあ、気にしないことだ。(注:異性に人気のあるU選手、M投手、S投手が悪者だと言っているのではありません)

 もっとも、細山田の場合、おじさんの声があまりに目立つものだから、女性からの声がかき消されたのかもしれぬ――ということにしておこう。(笑)
                       (谷川彬良)    

2008年12月16日 (火)

早大野球部08年・上本博紀

 早大主将・上本博紀。秋のリーグ戦で、通算100安打を達成。最終的には、歴代15位となる109安打まで伸ばした。
 しかし、リーグ戦4年間の通算打率は、.265(411打数109安打)。甲子園の活躍を知っている人には、少し物足りなかったか?

・一年……99打数25安打   .253(春.288、秋.213)
・二年……105打数26安打 .248(春.288、秋.196)
・三年……104打数36安打 .346(春.362、秋.333)
・四年……103打数22安打 .216(春.178、秋.241)

 三年時の大活躍ぶりからして、最終年の今年はどんな成績を残すのか? 大いに期待したものだったが、最後の年が一番成績が悪かった。
 三年までは必ず春のシーズンのほうが成績が良かったのに、今年の春は打率.178。技術云々の以前に、主将としての重責がのしかかっていたのだ、と考えるのが自然だろう。

 ――――――――――――――――――――

  春、上本らしい思い切りの良いプレーは、優勝を逸した後の早慶1回戦のホームスチールくらいだったか。
 しかし、秋は主将という役割にも慣れたのか、あるいは「ゼロからのスタート」として積極的になれたのか、上本らしいはつらつとしたプレーが何度か見られた。

 明大戦。アウトにはなったものの、ワイルドピッチで二塁からの本塁突入。
 明治神宮大会では、捕手のブロックを見事にかいくぐった決勝ホームイン。
 そして、一番大きなプレーだったろうとぼくが思うのは、法大2回戦。法大・加賀美の好投に、暴投で1点をとるのがやっとだった試合だ。
 1-1の同点とされた4回、法大は走者を三塁に置いて、長谷川の打球はセンター前への抜けようという鋭いライナー。
 この打球を上本は、横っとびの逆シングルキャッチ。勝ち越しを許さずに、この試合を引き分け、勝ち点を落とすピンチを超美技で救ったのだ。この秋、野手として最高のプレーだったと思っている。

 ――――――――――――――――――――

 年頭の予想では、秋、上本主将に5連覇目の天皇杯が渡されるはずだったのだが、「夢」は持ち越し。
 春、優勝を逸した痛恨事に、主将として責任を感じていたかもしれないが、秋、5連覇の“芽”を残した。
 主将としての役割は、果たしたと言っていい。

 来年は、「阪神タイガース・上本博紀」となる。背番号は、昨年まで慣れ親しんだ「4」だ。
 入学したての一年の春、上本は8盗塁。自身としては、大学8シーズンで一番多かった。

 タイガースでは「足のスペシャリスト」として期待されているらしい。
 しかし、足だけなんてとんでもない。「打」でも「守」でも、スペシャルなところを見せてくれるに違いない。

 もちろん、足は大きなセールスポイントだから、きっと甲子園のダイヤモンドをグルグル走り回る上本が見られることだろう。
 上本には、せいぜいバターにならないように、気をつけてもらうことにしよう。(わかるかな? 笑)
                   (谷川彬良)

2008年12月 8日 (月)

東伏見パレードの追加写真(斎藤佑の笑顔も)

 12月6日、東伏見で行われた早大野球部の優勝パレードに行かれた方から、写真を送っていただきました。(撮影主様、ありがとうございます)
 とてもいい写真なので、ご紹介します。
(ご本人の了解をいただいております)
                   (谷川彬良)

 ――――――――――――――――――――Photo_12 Photo_13 Photo_14 Photo_15 Photo_16 412_2 Photo_17 Photo_18 Photo_19

2008年12月 7日 (日)

東伏見パレード、ぞろぞろ雑記

 早大野球部の地元である東伏見商栄会の主催であり、ほとんど告知がなかった今回のパレード。
 地域の人が野球部と一緒に優勝を喜び合うという、ホンワカしたムードがあり、神宮→早稲田のあの大規模パレードとは違う趣の中で行われた。

 どういう状況になるのか、まったく予想がつかなかったので、午後2時スタートには早いと思ったけれども、ぼくは東伏見に昼前に入った。
 人出がどのくらいかを確認しつつ、のんびりと食事を摂った。

 思っていたよりも、駅界隈に人は少ない。パレードの出発地点には、昼前に係の人が何人か出ていたけれど、ギャラリーらしき人影はほとんど見られないようであった。
 食事を終えて、1時頃に出発地点に行くと、校旗が到着していて、応援部リーダーが神宮と同じように大事そうに抱えていた。

 まだ時間があると思い、線路を越えてグラウンドへ。
 大石が練習ユニフォームで練習しており、土生や渡邊(?)も熱心に打撃練習の真っ最中。「あ、下級生はパレードに参加しないんだな」とこの時わかった。
 それにしても、土生の打球はいい。近い将来、打撃陣の中心的存在になるのではなかろうか。

 ――――――――――――――――――――

 出発地点に戻ってみると、野球部の面々が揃っている。東伏見にはあんなに早く入ったのに、出遅れた。(笑)
 パレード開始までの少しの時間、隣の高いマンションの中ほどから、「斎藤さ~ん!」などと幼い男の子が何度も叫んでいた。
 その声にギャラリーはマンションを見上げ、笑ったりするのだけれど、肝心の斎藤はほとんど無反応……。

 さて、いよいよパレードがスタート。車道を進む野球部の隣の歩道を歩きたいファンが多く、その近辺は大混雑。そもそも、歩道が狭いのである。
 ちょっと危なっかしく感じたので、ぼくは野球部を追い抜き、そそくさと踏み切りを越えた。そこで再びパレードを待とうとしたが、ふとセレモニー会場の様子が気になり、そちらに向かうことにした。

 セレモニー会場の準硬式グラウンドには椅子が用意されていて、まだ空席は残っていたが、女性の姿が多くて座るのはやめた。

 ――――――――――――――――――――

 セレモニーで、斎藤が話した「(周りが四年生ばかりなので)一緒に卒業したいくらいなんですけど」という台詞が、妙に気になった。
 最初は、単に笑いをとったのだろうと思ったのだが、もしかすると「そろそろ上(プロ)でやりたい」という気持ちの表れではなかったか、と。
 大学野球のレベルは大体わかったし、やれる自信もついた。プロでやっても、成績を残せるのではないか――。

 ――――――――――――――――――――

 セレモニー終了後、練習場を覗いた。應武監督やパレードに参加した選手らが、下級生の練習を見守っている。
 ランニング練習をしばし眺めた後、四年生はグラウンドを横切り、いつもの通路から安部寮に向かっていった。

 明治神宮大会でサヨナラ負けした後、あっという間にグラウンドから去って行った早大ナイン。もう見られないと思っていた四年生のユニフォーム姿は、ファンにとって思いがけないプレゼントだったことだろう。
                      (谷川彬良)

 

2008年12月 6日 (土)

早大野球部、東伏見パレード

1474748_img_2  12月6日、青空の下、早稲田大学野球部の練習場がある東京・西東京市の東伏見で、東京六大学野球秋季リーグの優勝を祝うパレードが行われた。(写真はクリックで少しだけ大きくなりますが……雰囲気ということで。 笑)
 パレード参加者は、應武監督、上本ら四年生の選手、海津(前)コーチ、渡邊(前)マネージャー、そして下級生からは斎藤佑樹。
 残念ながら、細山田の姿はなかったようだ。

 應武監督、上本(前)主将に花束が贈呈され、午後2時に駅北口の郵便局前からパレードスタート。1474750_img
 校旗、吹奏楽部、チアが先を歩き、その後に野球部が続く。最初は表情が硬いように見えた選手たちも、沿道の商店から手を振る人たちにVサインを見せるなど、だんだんと柔らかくなっていった。

 1474751_img 選手たちの横の歩道は、ギャラリーたちでかなりの混雑。セレモニー会場(準硬式グラウンド)まで、その状態が続いた。
 しかし、パレード前後の歩道はそれほどの混雑はなく、警備上も大きな問題はなかったと思われる。

 ――――――――――――――――――――

 パレードの列は、2時35分頃に準硬式グラウンドに到着。
 人工芝の上に選手たちが乗るステージが置かれ、ずっと間隔を空けて、ギャラリー用に椅子が設置されている。でも、椅子の数は少なく、ほとんどの人は立ち見である。

 セレモニー開始前に、吹奏楽部によるドリル演奏(隊列を組んで音楽を奏でる)、チアのパフォーマンスが繰り広げられた。
 チアが登場した時には、後ろに控える野球部の選手たちが盛り上がっていた。(とくに上本。 笑)
 パフォーマンスが終わると、ステージのほど近くまで開放され、ギャラリーが我先にと殺到した。

1474755_img_2  さて、東伏見商栄会お二人の挨拶に続き、いよいよ野球部の登場。
 應武監督、上本、松本、須田、泉、海津、斎藤佑樹が、マイクを持って挨拶をした。

  上本「阪神タイガースでがんばります」。松本「横浜ベイス1474756_imgターズで、早く一軍に上がれるようにがんばります」。須田「JFE東日本でがんばります。東京ドームに見に来てください」などと語った。
 セレモニーが始まった時、隣のグラウンドで練習していた下級生たちが練習を休んでじっとこちらの様子を見ていたので、須田は「あそこで立ってこちらを見ている下級生たち――」と挨拶をしたのだけれど、その時にはすでに練習再開後。下級生は一人もいなくなっていて、場は爆笑となった。1474757_img_2

 挨拶のトリは、下級生からただ一人参加の斎藤佑樹。
「ぼくだけ練習サボってます」「(周りが四年生ばかりなので)一緒に卒業したいくらいなんですけど」などと、笑いをとっていた。

1474760_img_2  セレモニーの最後は、もちろん「早稲田大学校歌」。応援部主将・奥島君のリードで締めくくった。
                    (谷川彬良)

2008年12月 5日 (金)

日本三大校歌とは?

「日本三大校歌」をご存知だろうか? 知名度、メロディ、歌詞など、いろいろ総合して、さてどこの校歌がいいか、というランキングである。
 ずいぶん前から「日本三大校歌」の概念はあったようだが、残念ながら確定したものはないらしい。人によって考えは違い、勝手に噂が一人歩きするというところのようだ。

 ぼくが学生の頃は、「知名度の早稲田」「メロディの法政」「歌詞の明治」と言われていた。「早稲田、慶応、立教」や「早稲田、法政、北大」などと言われることもあるらしい。その他にも、いろいろなくくり方があるようだが、いずれにしても早稲田が外されることはないようである。

 リーダーの指揮、吹奏楽部の伴奏、学生の歌声。神宮球場の試合前、試合後などではいつもこの組み合わせで聴く早稲田大学校歌を、今日はオーケストラで聴いた。(今日は「野球」の話ではありません)

 ――――――――――――――――――――

 今日は、早稲田大学交響楽団の「Flesh Concert 2008」が、東京・杉並公会堂で行われた。
 杉並公会堂は、旧建物時代に何度か演奏会を行った。ある演奏会の後には、われわれ下級生主導でビールかけをやらかしたこともある。
 ビールを含んだ服のまま電車で帰るしかなく、匂いをぷんぷんさせて、他の乗客に白い目で見られた情けない青春の思い出がある。(笑)

 新しくなった杉並公会堂は、音響効果が素晴らしい。いわゆる「シューボックス型」(靴を入れる箱)で、ぼくの家からすぐのところにある「東京オペラシティ・コンサートホール」と同様の造りである。
 ただし、この型は音の良い席はすこぶる良いが、音が悪い席もできがち。サントリーホールのように、ステージを取り囲むような「ワインヤード型」(ぶどう畑)のほうが音の良い、悪いが起きにくい。ただし、一階席の後ろのほうは二階席がせり出してきていて、音が来ない。この席は避けたほうがよい。

 ――――――――――――――――――――

 早稲田大学交響楽団。1978年、第5回国際青少年オーケストラ大会(通称・カラヤンコンクール)で優勝するなど、このオーケストラのレベルは高い。
 今日のコンサートは、下級生中心の演奏だったけれども、そこそこのレベルは保っていたと思う。

 ぼくが一番聴きたかった曲は、「行進曲 威風堂々 第1番」(エルガー)だった。クラシック音楽では、ぼくが一番好きだといっていい曲である。
 流麗なトリオのメロディが何といっても美しい。そこから頭に戻り、リタルダンドした後に再び始まるトリオのメロディ。今度は強く、朗々と、堂々と――。
 この部分は、いつ聴いても涙が出そうになるほど感動する。今日は生演奏であるから、なおさらのことだった。

 続いて、演奏されたのが「早稲田大学校歌」だった。弦の柔らかい、艶、色気のある響き。青空の下、神宮球場で聴くものとはずいぶんと趣が違う。
 このようにして聴くと、メロディだけでも「三大校歌」に入れる美しさがあるんじゃないかと感じる。
 1時間半もかからない短いコンサートだったが、十分に楽しませてもらった。
                     (谷川彬良)

2008年12月 2日 (火)

「架空実況」の「夢」、いつまで続く?

 当ブログの6月28日に、「2010年秋・早慶3回戦架空実況」という記事がある。
 勝ったほうが優勝の試合。9回裏0-3とリードされた早大が、斎藤佑樹の代打・満塁・逆転・サヨナラホームランで、奇跡的な勝利。同時に、リーグ史上初の「5連覇」を成し遂げることになる試合である。
http://nejimaki-no-uta.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/2010_7faa.html

 ぼくはこのフィクションを、春の早慶1回戦が行われるのか、雨天順延かで待つ間に、軽い気持ちで書いた。
 雨天中止となったら暇つぶしに読んでいただこうとしただけのものなので、内容はほとんど“夢物語”みたいなものである。

 ところが、驚いたことに、その「夢」は一つたりとも終わっていない。あの記事に書いたすべてのことは、2年後に実現する可能性がそっくりそのまま残っているのである。

 ――――――――――――――――――――

 あの時、「應武監督」と書くことに、まずためらいがあった。表立ってニュースになっていなかったが、應武監督は4年契約の最終年。次期監督をめぐって、「サプライズ人事があるのでは」「○○氏がいいんじゃない?」などと、ぼくはある方とやり取りを楽しんでもいた。(笑)
 ところが、2年間の続投決定。「架空実況」では、ただ「監督」と書く手もあったが、それでは現実感が乏しいと思い、あえて「應武監督」としたのが真相だ。

 胴上げが続く中、ネット裏で万歳をする上本については、「新人から2年連続のセ・リーグ首位打者」と記述した。
 もしも、ドラフトでパ・リーグから指名されたり、指名漏れであったならそこでアウトのところだったが、セの阪神タイガースから指名された。

 そして、何といっても秋季リーグの早稲田の優勝だ。これがなければ、「架空実況」の核である「5連覇」が消え失せるところだったのだから。

 今年に限っては、以上の3つが実現への“関門”だったのである。

 ――――――――――――――――――――

 さて、「架空実況」の「夢」は、どこまで続いてくれるだろうか。どうせなら可能性を残し続けてほしいのだが、来年は最大の“試練”を迎えそうである。

 阪神タイガース・上本博紀。すべては彼の細身の体にかかっている。
 なんてったって、彼は「新人から2年連続のセ・リーグ首位打者」を獲得しなければならないのだから大変である。(笑)

 しかも、それ以上にむずかしいかもしれないのは、「全試合フルイニング出場が、プロに入ってからも途切れない鉄人ぶり」である。
 プロの日程は過密だ。体力的なことを考慮して、多くの野手は「休養日」を与えられたりする。
 全試合出場だって大変なことなのに、「全試合フルイニング出場」はどこまで可能なのか……。せいぜい、「新人王」くらいにしておくのだったか。(笑)

 いやいや、そんな弱気でどうする。首位打者も、フルイニング出場も続けてもらいたい。天才・上本に「不可能」の文字はない。

 ――――――――――――――――――――

 さて、「架空実況」の実現に向けて、その他の話である。

 まずは何といっても、リーグ戦で優勝を続けることだ。それが一番大事なことである。

 斎藤たちの代(第100代!)の主将は、誰になるのか。「架空実況」では、主将・宇高、副主将・斎藤佑としたが、あれはあいうえお順に選んだだけのこと。果たして誰が選ばれるのか、興味津々である。1年後には、決まっているだろう。

「架空実況」では、斎藤佑樹の背番号は「1」とした。早稲田の右のエースは「11」をつけるのが伝統であり、ぼくも11をつけることになるんじゃないかと思った。
 しかし、斎藤は「1」が好きであるらしい。となると、来年も再来年も「1」のままかもしれない。

 そして、再来年のラストシーズンは、宇高が最多打点、松永が首位打者、原が24本塁打のリーグ新。そして、斎藤佑樹の160キロ! 実現の可能性は、どのくらいあるのだろうか……。宇高の最多打点が一番可能性が高いかな?

 あ、一つすごいものを忘れていた。斎藤佑樹の「代打満塁逆転サヨナラ」ホームランだ。そもそも、9回裏0-3で早大がリードされている場面が来るのか、ということもあるけれども、それ以上に斎藤にホームランを打てる打力があるのか。
 2年間でホームラン0。打撃は一年生の時のほうが可能性を感じさせた。
 広くなった神宮球場。斎藤のあの“ふんわりスイング”(失礼)で、ホームランを打てるだろうか?
                   (谷川彬良)

#ある方から、「暫定的にコメントを受け付けては? 皆さんのコメントも読んでみたい」とのご要望をいただきました。
 当ブログはこれまでコメントを受け付けていませんでしたが、そういうわけで「この記事に限り」、コメントを受け付けさせていただきます。
 一つもいただけなかったらどうしよう……と心配にもなりますが、少なくともご要望をお寄せ下さった約1名の方は、責任をもって書き込んでください。(笑)
 たくさんの方の書き込みをお待ちしております。(谷川)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2009年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック